日本にはユダヤ陰謀論やフリーメーソン陰謀論ほど、大きな陰謀論カテゴリはない。
キリスト教のような強いプレッシャーを持つ宗教がなく、政治体制も数百年ごとに変わってきたからだと思われる。
その時々でひろく信じられた陰謀論の一種(菅原道真や平将門の怨霊陰謀論など)はあるが、現代にまで残っているものはない。
しかし陰謀論からほど遠い国というわけではなく、小さな陰謀論、陰謀論になりかけの捏造はたくさん行われてきている。
見えない「権力」がいまも我々を操っている、という正統陰謀論は、日本ではあまり発達しなかった。
そのかわり、「偽史」、つなわち偽と思われる古代の歴史を伝える書物が多数現れ、話題を呼び信奉者を生んできた。
古代の偽史を伝える日本の偽書のことを、「古史古伝」と呼ぶ。
wikipedia-古史古伝
古史古伝のなかでも代表的なものが、俗にいう「竹内文書」と「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」である。
古代に多くの天皇に仕えたとされる伝説の重臣、武内宿禰の子孫を名乗る竹内巨麿なる人物が、1928年、竹内家に伝えられてきたという古文書と宝物を公開。
これを竹内文書、あるいは竹内文献、磯原文書、天津教文書などと呼ぶ。
竹内巨麿は天津教なる新興宗教を興し、戦前にかなりの信者を集めたが、当局との軋轢のすえ弱小カルトになっていった。
神代文字という、中国から漢字が到来する前に日本にあった(という設定の)文字で書かれている。
神代文字自体は竹内文書よりはるかに古い歴史を持つ文字で、鎌倉時代から「本物か偽造された文字か」で論争があった。
神武天皇から始まる天皇の世のその前に、「ウガヤ朝(竹内文書では「アエズ朝」)」と呼ばれる王朝時代があった、という設定。名前は神武天皇の父「ウガヤフキアエズノミコト」から。
竹内文書では、ウガヤ朝の時代、日本は世界でもっとも栄えた土地であり、UFOを作り、五色の肌を持つ皇子が生まれ、彼らが世界中に派遣されて各地で人類の祖となったとされる。
また、イエス・キリストは十字架で死なずに日本に来て、日本で死んだという有名な俗説も竹内文書によるもの。現在八戸にある有名な「キリストの墓」は、竹内巨麿が発見したものである。
モーゼの「裏十戒」の石板も竹内家に保管されていたらしい。一部ゲームで有名な「ヒヒイロカネ」もこの文書のなかに登場する金属。
古代の日本人が世界でもっとも優秀であった、という、いわゆる「日本アゲ」の傾向が強い偽書。
1975年、青森県五所川原市の和田家という旧家の天井裏で発見された(とされる)文書。
古代の津軽地方に、大和朝廷から独立した「アラハバキ族」という民族が栄えていた、という内容。アラハバキ族が祀っていた神、アラハバキ神が遮光器土偶のもとになったという。
1980年代に大きな話題を呼び、岡本太郎をはじめ熱烈な擁護者を生んだが、現在はほぼ間違いなく偽書だという評価が定着してる。
東北には奥州藤原氏など中央と独立した統治の伝統があり、東北人の独立意識をたくみについた内容である。
田中上奏文は、1930年ごろ、日本ではなく中国もしくはアメリカで生まれた、日本を陰謀論の対象にするための文書。
内閣総理大臣であった田中義一が、昭和初年前後に、昭和天皇に提出した書類とされる。
内容は、中国を征服し世界征服の足がかりを作るための手順が書かれている。
公表された当初から偽書であるとされてきたが、中国は1930年代からこの文書を反日プロパガンダに使用。
国連などで問題になったときに各国が中国を支持し上奏文を本物と認定したことが、国際連盟脱退のきっかけとなり、そののちの太平洋戦争へと繋がっていった。
なお、昭和天皇への上奏文でありながら日本語版が存在しない。
強烈な陰謀論ターゲットのない日本においては、狭義の陰謀論は語られることが比較的少ない。
が、「世界はいま間違っている」という前提から発想されてゆき、捏造やこじつけに至る論を「広義の陰謀論」と考えれば、日本には陰謀論に見えない陰謀論が溢れているといえる。
その代表的なものが「江戸しぐさ」で、江戸しぐさが捏造された裏側には「現代日本のマナーは間違っている」「薩長がいばる明治維新後の日本は間違っている」という強烈な動機があり、
それを主張するために、架空のマナーを作り上げている。
だがその「間違っている」という動機の部分は隠され、「もっともらしい嘘」の部分だけが露出するのが、現代日本の陰謀論の特徴。
また、アンチモダンの思想を「疑似科学」に託すことで陰謀論に近いものを作り上げているケースもしばしば見受けられる。そこでは「化学化合物」や「現代的な物質」が諸悪の根源とされる。
「マクロビオティック」などがその代表で、そこでは人工的に作られたものとそれを販売し拡げる人たちを「見えない権力」とするある種の陰謀論が成立している。
江戸しぐさとは、江戸時代に商人や町人たちが、人間関係を円滑にするために行っていた、いまは消えてしまった仕草のこと、とされる。
一見いかにもありそうなうえ、道徳的にも正しい感じであることから広まり、教科書にも載るほどになった。
しかし、豊富な資料が残っている江戸時代の話でありながら全くそれを裏付ける資料がなく、また、江戸開城の時に江戸しぐさを保存してきた江戸っ子たちを新政府軍が虐殺した、などといった裏付けのない歴史が述べられていることから、江戸しぐさは全て現代の捏造であるとの批判が巻き起こっている。
wikipedia-マクロビオティック
自然食品による代表的健康法、マクロビオティック。
いまや多くの人がマクロビの教えにしたがい食生活を送り、そのことになんの疑問も持たず科学的だと思われているが、実はもとになっているのは「陰陽法」という、古代中国から伝わる思想であって、科学の裏付けが必ずしもあるわけではない。
「人工で作ったものを食べるいまの食は間違っている」という前提から生まれ、自然であろうが人工であろうが、化学的に同じであれば栄養学的にはまったく同一である、という科学的な基本を無視している面がある。
1)何の疑問もなく「世界は間違っている」という前提に立つことで、最初から世界の「解釈可能性」を狭めているから。
全ての出来事には多様な解釈ができる。ありとあらゆることには複数の複雑な側面があり、まして世界は「間違っている」とか「間違っていない」とか言えるような単純なものではない。
そこを思い切り単純化することで、「世界をわかりやすく見ようとしすぎる」のが陰謀論の特徴。
私たちが考えてきた「見えないデータベース」という観点から見ると、陰謀論は、私たちの中にある見えないデータベースが持っている多様性や可能性を、ある観点からきつく拘束し自由度を奪う働きを持っている。
2)事実と解釈の順番が入れ替わるから。
まずたくさんの事実があり、その事実をできるだけたくさん呑み込んだうえで考えることで、「解釈」が成立する。
これが、陰謀論の論理だと逆になってゆく。
「ユダヤは悪い」「フリーメーソンは悪い」「現代社会は悪い」「人工のものは悪い」「原発は悪い」「いま知られている天皇制は嘘」というような解釈が先にあり、それに見合う事実だけが選ばれるようになる。
3)その結果、必然的に「捏造」や「デマ」が生まれるから。
事実の前に解釈があるので、多くの事実が無視され切り落とされる。結果、「デマ」や「捏造」が必ず生まれる。
そしてその「デマ」や「捏造」はキャッチーなうえ、陰謀論というわかりやすい理屈とともに流通するので、非常に広まりやすい。
1)陰謀論の匂いをかぎ取ろう。
「何かが疑問の余地もなく前提になっている理屈はあぶない」「何かを大げさに扱いすぎている理屈はあぶない」「何かを最初から悪者にしている理屈はあぶない」。
2)陰謀論は私たちのすぐ近くにあり、私たちが持つ本質から生まれているということを知ろう。
なぜ陰謀論はなくならないのか。それは、陰謀論は楽しいから。
私たちは「世界はよくわからない」という不安をいつも抱えているが、それを解消してくれるのが陰謀論。
だからこそ、陰謀論はエンターテインメントの大きな源になっている。
私たちは陰謀論を完全には排除できない。潔癖に嫌っても疲れるだけ。
3)「取り込まれないこと」「信じ込まないこと」だけ気をつけよう。
私たちは多かれ少なかれ「陰謀論」的な考え方に近いところで生きている。
大切なのは、思考を硬直化させず、自分の中の見えないデータベースをいつも自由に働かせておくこと。
大きな目で見れば、ミステリーといわれるジャンルのエンターテインメントは、本質をいえば陰謀論と同じ理屈で動いている。
「犯人(見えない黒幕)」がいて、「巧妙な計画で物事を動かし」、それを隠蔽している。
それを探偵・読者(陰謀論者)が、物事を「推理(解釈)」することで暴いてゆく。
そして物事の全ての始まりに、「殺人(間違い)」がある。
ミステリーを読む快感と、陰謀論にふれる快感は共通している。世界というパズルが解けてゆく快楽。
それゆえ、ミステリー/サスペンスやといったジャンルと、陰謀論の相性は異常なほどよい。
ディーン・クーンツ、ロバート・ラドラム、フレデリック・フォーサイス、トム・クランシーなど、アメリカでベストセラーを連発している流行作家には陰謀論がつねに出てくる。
なかでも最近話題を呼んだのが「ダ・ヴィンチ・コード」「天使と悪魔」のダン・ブラウン。
その最高傑作のひとつが、諸星大二郎「暗黒神話」。
ゼロ年代最高のSF小説と名高い伊藤計劃「虐殺器官」。
人類の体内にある虐殺を引き起こす「虐殺器官」と、それを呼び起こす「虐殺文法」。そして虐殺器官の秘密を独占しようとするアメリカ政府……という、典型的な陰謀論の筋立てを描ききっている。
おまけ World Order