●講義で話したことをまとめると、現代という時代は
・ポストモダンに入ってすでに久しい。私たちが共通して信じることのできる価値観というものは基本的にはごくわずかしかないが、そのぶん私たちはなんでも自由に表現できるようになっている。
・日本は長い経済低迷によりある種の漂流状態にある。私たちはまだ豊かで、かつてないほど温和で平穏な社会を作っているが、同時に行く先がわからぬまま漂っている。
・私たちは「ずっとつづく日常」を大事にしようというフェイズに入っている。それは、日常が終わりを迎えたときに私たちのメンタルを支える思想でもある。
●そういったなかで、「物語」は
・日常の楽しみを支え、不安定な私たちの心を支えるため、物語はより大量に作られ、より大量に消費されるようになっている。そして私たちは、周囲に物語が大量にある状態に慣れ始めている。
・そういったなかで、物語がもつ「一回性」と「反復性」の二面性は、いよいよ対立化してクリエイターを悩ませるようになっている。
・私たちはもう、まだ誰にも書かれていない物語を発見することはできない。全ての物語はすでに誰かによって考えられた物語であり、それを前提として制作しないといけない。
・ストーリーラインに新鮮さを求めにくくなっているぶん、キャラクターの造形と、イメージの選択には、より高度で繊細な手付きが求められるようになっている。
●みなさんのような若いクリエイター志望者たちは、こういった時代の雰囲気をなまなましく表現しているコンテンツに積極的に触れていくべきである。
・それは若い世代の特権である。中年以降の人間は、若いコンテンツの持つ質感を本質的に感受できない。みなさんにしかわからないし、みなさんが支えないといけない。
・みなさんがもし、同世代に人気のコンテンツが嫌いなら、そこにこそみなさんの思考のポイントがある。その嫌いという感覚のなかに、時代の問題点や闇が詰まっているからである。
●まず、クリエイターには何か「物凄い専門技能」「すさまじい精神集中」「とんでもないコツ」がある、という考え方をやめよう。
●基本的に、仕事の99%は「誰でも知っていればできること」「練習すればできるようになること」。
●ただし「身体に染み付くぐらい」に、そのジャンルの基礎知識を知り身につけることが重要。物語の場合、物語を支える三要素とそれぞれの特徴、可能性を知り、それを感覚として捉えられるようになること。
●その基礎知識の塊が、クリエイターに「なんかいい」「なんかまずい」という感覚を与える。絵描きも作曲家も、その感覚に頼って仕事をしている。
●「自分の心の奥底から出てきた、自分らしい創作物」という神話はいったん捨てよう。
●物語においては、ストーリーラインはだいたい同じようなもの。そこに個性を求めるのは不毛。
●たとえば音楽にしても、メロディラインにオリジナリティなど本質的にありえない。あらゆるメロディはもう試されているからである。
●料理にたとえるなら、自分だけの食材や調理法を求めてもたいていは無駄ということ。個性はちょっとした調味料の使い方や仕上げ方、細かい手順などに現れる。
●物語においても同様、違いは味そのもの、すなわち「イメージ」「キャラクター」に現れる。
●結局は、頭の中に眠る引き出しの多さ、つまり「見えないデータベース」の厚みがいちばん大事。
コンテンツの教養こそがネタの源であり最大の資源。
●自分の嗜好に合ったものを中心に、たくさんの創作物に触れることが結局全ての基礎になる。
●全てを記憶する古典的教養はいらない。知識は「なんとなく頭に残ってる」だけで十分。勉強するのではなく「触れる」ことが大事。
●自分が大好きな作品があったら、それを大事にしよう。何度も繰り返し読んだり見たりしよう。
ムダな時間と思うかもしれないが、覚えこむぐらいまである作品に触れ続けることはとても大事。
それをやったことのないクリエイターはほぼいない。
●なぜ大切かというと、惚れ込んだ作品の「リズム感」や「構成」や、なにより「イメージ」「キャラクター」が、自然に身体に染み付くから。
大好きな作品の魅力の秘密はそこにあり、それを自然に盗むことができる。
●「隠し教養」とは、作りたいコンテンツとはあまり関係のない分野の「見えないデータベース」。
●スポーツでも芸能でも音楽でも理系知識でも、なんでもいい。「趣味」にあたる分野の教養を持っておこう。
●コンテンツ制作で、「ここで何かオリジナルのネタがないかな」というときにその隠れ教養が役に立ち、個性になる。
●物語においては、「イメージ」の選択になにより役に立つ。物語中で、おっと思わせるような新鮮な要素が出てきたら、それはたいてい、作者の「隠し教養」から来ている。
●人の嗜好や感覚は、思った以上に一人一人違っている。それは、料理に対する好みによく似ている。
●物語の様々な要素の「どこにどう惹かれるか」という好みの違いが、クリエイターの個性の源になる。
●まずは、「ストーリーを追うのが好きか」「イメージを追うのが好きか」「キャラクターを追うのが好きか」ということで好みが分かれる。
自分の好みをふりかえって自覚してみよう。
●面白い会話が好き(キャラクター、リズム感重視)
可愛いかったりカッコよかったりするキャラクターが、劇中で生き生きと動くのを見るのが好き。
この嗜好の強い人は、テンポのよい会話、キャラクター同士が「わかりあっている」やりとりに快感を覚える。
会話重視で物語を見ていて、反面、劇的な緊張感にはあまりこだわらない。
けいおん!
●心理を追うのが好き(キャラクター重視)
あるキャラクターの心理が、劇中で変化してゆくのを追うのが好き。
会話好きより、キャラクター一人に接近して、等身大の人間として見たいタイプ。
キャラクターの孤独感、挫折感、寂寥感など、マイナスの感情に敏感に反応し、そこに共感を見出す。
粘り強く忍耐強い読み手・視聴者である反面、納得がいかないと妥協しない。
文学的な古典が好きな人が多い。
罪と罰
●人間関係の緊張を見るのが好き(キャラクター重視)
複数のキャラクターが複雑に絡み合い、緊張感のある関係を作るドラマが好き。
謎めいたキャラクターを好み、ギスギスしたやりとりから意外な展開が生まれるのに快感を覚える。
恋愛にも強い興味があり、リアリティショーやドロドロの不倫ドラマを楽しめるタイプ。
●どんでん返し、劇的クライマックスが好き(ストーリーライン重視、一回性重視)
物語に驚かされることが好き。
キャラクターよりも、物語自体の意外性や、用意周到な盛り上がりに感動する。
ミステリーに惹かれ、ネタバレ厳禁、といわれると見たくなるタイプ。
シックスセンス
●怒涛のように流れていく物語が好き(キャラクター、イメージ重視)
大きなスケールで動く物語、登場人物がたくさんいる大河ドラマが好きなタイプ。
歴史好きであり、戦争描写や大規模のギミック、策謀や計略に惹かれる。
群像劇こそ本当の物語、と思っている人が多い。
指輪物語
●世界観が新鮮な物語が好き(イメージ重視)
奇抜なイメージや、新鮮な驚きを感じさせる物語が好き。
雰囲気を重視し、意表をつくアイデアや細かい設定を高く評価する。
SF好き、ファンタジー好きにこのタイプが多い。
●カタルシスのある物語が好き(反復性重視)
定番通りに構成されている、古典的な物語に触れるのが好き。
物語の全体的な構成や、さりげない伏線に敏感に反応する。
物語の意外性より、全体に納得感があることを重視するタイプ。因果応報がきちんとしていて、体験したあとカタルシスのある物語を求める。
古典的な勧善懲悪もの、ヒーローものなど、お約束を重視するタイプの物語を飽きずに見続ける人が多い。
アイアンマン
●グラフィック重視
視覚情報、それもはっきり目に見える静止画の視覚情報を何より重視するタイプ。
色にこだわる人、形にこだわる人など、いろいろいる。
マンガ好きの人は多くがこの傾向を持つ。
●ムーブメント重視
ビジュアル重視の中でも、何かが動くのを見ることに快感を感じるタイプ。
このタイプの人は非常に多く、アニメーション隆盛の基礎はここにあるといっていい。
●映像的リズム重視
強弱をつけた演出、テンポのいいシーン切り替えなどを求めるタイプ。
映画好きにこのタイプが多く、巧妙なカット割りや特殊効果を愛する人はたくさんいる。
●視覚イメージ重視
ビジュアル重視とは違い、視覚の「イメージ」に敏感なタイプ。
テキストとして描写された視覚イメージに強く反応する。
小説好きにはこのタイプが多い。
●サウンド重視
いつも「音」を最重要なものとして感受しているタイプ。
音楽や声、効果音などを無意識のうちに基礎情報として受け取り、そのうえに映像などを乗せてゆく。
例外なく音楽ファンで、非常に耳がいい人が多い。
●テキストリズム重視
じっさいの音ではなく、テキストのリズムに敏感なタイプ。
語感や語呂、言葉の音数を無意識のうちに重要視している。
テキストを読むとき、つねに心の中で音読している人が多い。
詩歌(流行歌含む)が好きな人はこのタイプがほとんど。
●ちょっと気になったニュース、ちょっと気になった言葉、気になった画像、そういうものに出会ったら日頃からどんどん検索をかけよう。
●そこから新しいコンテンツに辿り着けることがたくさんある。読書するのと同じぐらい、検索は大切。
●なにより大きいのは、検索することで、自分がいま生きている「時代」の空気がわかること。
●そして、検索して「時代」についての情報を得ることで、いま生きている時代が持っている「歴史性」を感じ取ることができる。
全てのものにはそれが現在にいたるまでの「歴史」があり、それを知ることで人の思考は明晰になってゆく。
●たとえ自分のことで頭がいっぱいな時でも、一日のうちほんの少しの時間でいいので、何かに興味を持つことを続けよう。