戦後のメンタリティ これまでのまとめ


戦後の日本人の中には、ふたつの相反するメンタリティがあり、1960年代までは基本的に現世主義的な傾向が強かった、というのがここまでのお話。

1)現世主義なメンタリティ


坂口安吾が「堕落」と呼んだもの。
欲望に忠実で、つねに進歩と拡大をめざし、楽天的でセルフィッシュ。
エンターテインメントを愛し、時代の流行に積極的に乗ろうとする。
悪い言い方をすれば俗物的なメンタリティ。
規律より自由を愛するリベラル(言葉の本来の意味で)なメンタリティ。

戦後を主導したメンタリティであり、戦後日本の変化に肯定的な人はどこかでこのメンタリティを認めている。
が、その性質上、どうしても格差を生み、多くの脱落者、失格者を出さざるをえないメンタリティでもある。

2)倫理主義のメンタリティ


坂口安吾が「戦後日本からいったん失われる」と予言した、「運命の従順な子供」としての心のありかた。
人としての良心と自己抑制に価値を見出し、人の心の「美しさ」「尊さ」を大事にし、それを補助する伝統、決まりごとや作法を尊重する。
日本人の精神にずっと潜み続ける伝統的なメンタリティ。

このメンタリティが強い人は戦後日本の現世主義にたいし否定的であり、戦前に一度戻ってやり直すべきだと考えている。
三島由紀夫がその典型。
また、多くの左翼(政治的な意味のリベラル)の中に根強く流れているのも、じつはこの倫理主義的なメンタリティである。

3)反・戦後のメンタリティ


戦争が生んだ絶望と不信のメンタリティ。
負けて手に入れた自由と、突然ふってわいた繁栄に、ついてゆけないネガティブな心のありよう。成長に対する下降志向。
戦後の成長の裏側につねについてまわる影のメンタリティ。

60年代の終わりから、この反・戦後のメンタリティは強く表に出始める。

戦後日本のメンタリティ見取り図




戦後のメインストリームは現世主義的-資本主義的な企業重視、経済重視のメンタリティ。
その流れにはつねに反動が存在し、倫理主義的-社会主義的な「きれいな社会」「正しい社会」への志向につながる。
いずれの志向にも、前提として戦後デモクラシーの精神があった。

傍流として60年ごろからずっと日本人に寄り添ってきたメンタリティが「働くけなげな青春」への強い志向。
そして70年代が近づくにつれ、現世主義的でありながら資本主義から離脱しようとする、ある種のデカダンスと原始回帰が生まれ始める。

戦後漫画のはじまりと手塚治虫の意味 

戦後漫画のはじまり …… 「赤本」


戦後の漫画は「赤本」から始まった。 赤本とは、「書店を通さず駄菓子屋や露店で売られる本」のこと。
47年頃、大阪の闇市場で「漫画の赤本」を売り出したところ大当たりした。
この漫画赤本の最初にして最大のベストセラー作家が手塚治虫である。
当時十九歳の医大生で、原作者と組んだ長編デビュー作「新寶島」によって赤本ブームを巻き起こした。
この作品は一年で四十万部を売ったという。ちなみに前年のベストセラー、太宰治の「斜陽」は十万部ちょっとだった。

 当時の赤本の表紙

手塚治虫の快進撃


関西の一赤本作家だった手塚は、デビューの三年後、1950年には大手出版社の雑誌に登場。
手塚をメインに据えた新雑誌「漫画少年」で「ジャングル大帝」を描き始める。
1952年、デビューから五年後には、大手出版社で手塚の漫画が載っていない漫画雑誌はない、という状態になっていた。
同年上京。伝説の漫画家アパート「トキワ荘」に住む。

トキワ荘の内部再現模型


実はトキワ荘にはわずかな期間しかいなかったが、その間に後輩の漫画家志望青年たちに絶大な影響を与えた。藤子不二雄、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、水野英子など。
52年には「鉄腕アトム」の第一作を描き、53年には少女漫画のはじまりとされる「リボンの騎士」、54年にはライフワークとなった「火の鳥」の連載を開始。
怒涛の快進撃を続けたが、60年ごろになると、しだいにその勢いは衰えてゆく。

 リボンの騎士

手塚治虫 「地底国の怪人」


1948年、手塚の長編三作目の作品。
手塚本人は、「デビュー作の新寶島は原作つきだし、次の火星博士は戦前の匂いを引きずっているので、これが実質的な長編処女作」と言っている。
続く「ロストワールド」「メトロポリス」「来るべき世界」は「初期SF三部作」と言われ、後世に大きな影響を与えたが、それを準備した作品といえる。

地底国の怪人

手塚治虫は何が凄かったのか


俗悪本とされていた「赤本」の市場から、低レベルなものとされていた「漫画」という形で登場した青年手塚治虫が、なぜまたたく間にスーパースターになっていったか。
その理由として、いくつか考えることができる。

1)その作品が、「物語の快楽」に溢れていた。


スピーディーな展開。重苦しい流れでも小ネタやコミカルさを入れてゆく作劇法。全体をつらぬくテンポのよさ。
先を読ませないアイデアの積み重ね。「冒険物語」として初期からレベルが高く、当時の日本にはない「物語の快楽」にあふれていた。

冒険と戦いの物語、すなわちエンターテインメントとしての物語は、これまで日本になかったわけではなかった。
「南総里見八犬伝」「富士に立つ影」や「海底軍艦」など。
西洋冒険ものの翻案もされていた。が、その中でも手塚の冒険物語の快楽は、その軽快な絵もあいまって画期的なものだった。
なにより、読みやすかった。

2) 無国籍 + SFマインド。


手塚治虫の作品には「日本人」がはっきりと出てこない。登場人物はみな、外人というわけでもなくなんとなく「手塚治虫的なキャラクター」。
日本人らしさを無意識にまとっていた当時の小説、映画、歌謡曲の雰囲気からすると異次元なものだった。
こういった漫画ならではの「無国籍性」は、戦前の「のらくろ」など先達たちが築いてきたものであったが、手塚はそれを十全に活かした。
この無国籍なファンタジーは日活アクションの持っていた無国籍性とどこか重なる。何もない環境だからこそ築けた独自の世界だった。

また、手塚の作品には、当時の日本では考えられないようなSF的なアイデアが詰め込まれている。
日本が焼け跡から復興する時期に、はやくもロボットやアンドロイドや超音速飛行機の夢をじっさいに絵として描いてみせた。

要するに、焼け跡のなかで誰よりも早く、誰よりも戦後らしいファンタジーを描いてみせた。それこそが手塚漫画の中核だった。

3) 戦後の2つのメンタリティを作品の中で共存させた。


手塚治虫作品には、SFマインド、進歩主義、科学万能主義といった現世主義・資本主義的な要素がファンタジーとしてふんだんに盛り込まれている。
が、同時に、デビュー時から「倫理」を重視し、人の本質とは何かというテーマをつねに追求する作家でもあった。

「地底国の怪人」では、人の心を持ったウサギは人間なのか、というテーマが飛躍する活劇の合間に語られる。
強欲にたいする反発もまたテーマのひとつで、手塚治虫の作品にはつねに欲張るあまり策をめぐらし破滅するキャラクターが出てくる。

「来るべき世界」では科学技術の暴走が星を滅ぼすさまを早くも描いた。
ポジティブな科学技術への夢、その中で人間には抑制が必要であるという倫理感。
初期の手塚治虫には、上で述べた、矛盾する2つのメンタリティが両方バランスよく含まれていた。そしてその中核に、戦後デモクラシーの思想があった。 誰よりも戦後的であり、だからこそ手塚治虫の作品は子供にも大人にも読まれた

ただ、その微温的なバランスのよさゆえに、手塚治虫は60年代の終わりに一度没落し、時代遅れと揶揄されるようになる。

手塚治虫の苦悩 ~「貸本漫画」と「劇画」~


赤本漫画は55年頃には完全に時代遅れになっていたが、それを引き継ぐ形で盛んになったのが「貸本漫画」。
新品の雑誌や漫画本を買えない人が、借りるという形で安価で漫画を読むシステム。レンタルビデオの漫画版。
「貸本専用」の漫画雑誌が作られ、貸本独自の漫画の世界が作られていった。

貸本を借りていた貧乏な若者たちは、中学を出て工場で働くような人たち。「非学生ハイティーン」と呼ばれた。
手塚が漫画家として大きくなる過程で切り捨ててきたユーザーたちは、手塚に付き合わずに同じところにずっととどまり、無名の漫画家の作品を読み続けた。
漫画を読みながら大人になった最初の世代の彼らは、彼らにあった漫画を貸本に求めるようになる。
それは、手塚の無国籍でポップな世界とはまるで違う、泥臭い世界を描いた青年向け漫画だった。

貸本雑誌「影」サンプル画像

マンガ好きは、「なぜ少年向けの作家と青年向けの作家は、人も雑誌も分かれているのだろう」と疑問を持ったことがあるかもしれない。
「手塚治虫の流れをくむ少年漫画」と「劇画の流れをくむ青年漫画」が、そもそも成り立ちが違ったからである。

貸本時代のさいとうたかを作品





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