戦後のアンチ・モダン思想と「ロマン」


「アンチ・モダン」は、日本語に訳すと「反現代」。
すなわち、科学的、合理的、進歩主義的な近現代の世界観を拒否し、呪術、魔術、オカルト、錬金術などの中世的、神秘主義的な世界観を愛する思想である。
ヨーロッパにおいては、このアンチ・モダン思想は20世紀はじめに蘇り、芸術運動シュールレアリスムと結びついて世を席巻するとともに、現代ファンタジー文学の源流のひとつになってゆく。

アンチ・モダンと深く関係する言葉として「ロマン」(もしくは「浪漫」)という言葉がある。
18世紀ごろにヨーロッパで流行した「ロマン主義」をもとにした日本独自の言葉。
ロマン主義とは、個人の不合理な欲求を重視し、夢や幻想、異郷へのあこがれを大切にする思想で、「古典主義」「合理主義」「教条主義」と対比される。
日本でいう「ロマン」とは、物事の効率に結びつかない、ムダに思えるこだわりや空想のこと。または、こだわりや空想にとことん殉じる精神のことである。
転じて、現実味の薄い壮大な構想や夢をそう呼ぶようになった。

日本のアンチ・モダン紹介者二人


■澁澤龍彦(1928~1987)

 ・1960年ごろ、マルキ・ド・サドをはじめて日本に紹介
 ・ヨーロッパ、とくにフランスの背徳的な作品群をつぎつぎに紹介
 ・三島由紀夫の親友で、耽美的なものを愛した



■種村季弘(1933~2004)

・マゾッホの著作を日本に紹介
・60年代後半から、ドイツを中心に欧州のあやしい文化を紹介
・博覧強記の怪人、ありとあらゆるいかがわしい物に精通

 

二人が紹介したのは……

錬金術、黒魔術、悪魔崇拝、呪術、オカルト、フェティシズム、人形愛玩、偽造品
毒、神秘学、アンチキリスト、猟奇殺人、サディズム、マゾヒズム、吸血鬼、ゴーレム
詐欺師、少女愛、性的倒錯、ゴシック趣味 などなど

なぜ戦後日本の一部でアンチ・モダンが流行ったのか


・ヨーロッパでアンチ・モダンがそれなりの影響力を持っていたから。

・日本の戦後社会から、呪術的なもの、古い風習や風土が急激に失われたから。

・1970年大阪万博に象徴される科学万能主義、進歩史観に飽き飽きしていたから。

70年大阪万博

近現代的・資本主義的・俗世的・即物的な世界観から、決定的に「自由」になるための考え方として注目された。

ディープ・アンチモダン …… 暗黒舞踏


■土方巽

「暗黒舞踏」と呼ばれる、肉体を美しく見せるのではなく不具や不全の形で見せようとする舞踏の創始者。
海外では「BUTOU」と呼ばれ、日本以上の影響力を持っている。

疱瘡譚


暗黒舞踏の背後にある思想は、「美しく作られたもの」(=近代芸術)、具体的にいえばバレエへの反発。
土着なもの、風土そのもの、飾られていない人間の肉体そのものの価値を認めようとする運動である。

70年代アングラ演劇


 こういった「アンチ・モダン芸術」の先端を担ったのが、70年代のアングラ演劇であった。

アングラ演劇とは何か


一言でいうならば、既製の劇場上演システムから外れ、演劇界の仕組みから外れて、テントや「小劇場」と呼ばれるごく小さな空間でやる演劇。
インディペンデント演劇と呼んでもいい。
テント上演は警察とのしがらみもあり長く続かなかったが、駒場小劇場、早稲田小劇場などの小劇場を舞台にした演劇は、
四天王以降も、つかこうへい、野田秀樹、鴻上尚史、三谷幸喜などの優れた演出家を生んだ。
それは、日本の近代演劇「新劇」、すなわちリアリズム演劇にたいするカウンターであった。


アングラ演劇四天王


■寺山修司 劇団「天井桟敷」

 「書を捨てよ町へ出よう」ポスター 及川正通作

 マルチな才能を持つクリエイターであり扇動家。しかし彼の語ることは半分以上フェイク。

■唐十郎 劇団「状況劇場」(紅テント)

 「腰巻きお仙」ポスター 横尾忠則作

 コラージュの才能とコメディセンス、B級活劇や見世物小屋への志向をあわせもつパワフルで現代的な演出家。

■鈴木忠志 劇団「早稲田小劇場」

 「劇的なるものをめぐって2」から白石加代子

 名女優白石加代子を擁して、実験的でストイックかつ狂気にみちた演劇を作った。のち演劇訓練法の大家として世界的に有名になる。

■佐藤信 劇団「黒テント」

 「喜劇昭和の世界」ポスター

 旅をしながら各地に黒テントを立て上演するスタイルを続けた。
四人の中でももっとも政治的状況に敏感な作家で、知的なからくり箱、といわれた複雑な比喩やほのめかしが連続するスタイルで当時高い評価を得た。現在も黒テントで活躍。

寺山修司(1935~1983)



◎大学生のとき、短歌の創作からスタート。

◎「虚無への供物」の中井英夫に見出され
 一躍、短歌界で注目を浴びる。
 
◎歌人・詩人として青少年向けの本を書き
 若者のカリスマと呼ばれる。
 
◎1967年、劇団「天井桟敷」を結成
 「大山デブコの犯罪」「毛皮のマリー」などを上演。
 
◎1974年、映画「田園に死す」完成。

◎1975年、市街劇と銘打った「ノック」を上演、警察に通報される。

◎1983年、肝硬変で死去。

卓越したアイデアマンで、つねに既成概念を打ち壊そうとしていたが
そのルーツは結局短歌にあり、短歌で得たものを一生敷衍しつづけた。

寺山修司の短歌


<初期短歌>

海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり

煙草くさき国語教師が言うときに明日という語は最もかなし

わがにがき心のうちにレモン一つ育ちゆくとき世界は昏れて

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

わが通る果樹園の小屋いつも暗く父と呼びたき番人が棲む

<田園に死す>

亡き母の真っ赤な櫛を埋めに行く恐山には風吹くばかり

新しき仏壇買ひに行きしまま行方不明のおとうとと鳥

売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき

吸ひさしの煙草で北を指すときの北暗ければ望郷ならず

寺山修司の映像


田園に死す


ノック



唐十郎(1940~)



◎暗黒舞踏の土方巽の弟子としてスタート。

◎1963年、「状況劇場」を結成。

◎「特権的肉体論」を発表。
 なにより役者の肉体的存在感を重視する考え方を打ち出し
 パフォーマンスとしての演劇を高らかに主張した。
 
◎1967年頃から新宿花園神社にテントを張り
 そこで公演を行うようになる(紅テント)。
 が、翌年には追いだされる。
 
◎新宿近辺を中心に、どこにでもテントを張って演劇を行い
 何度か逮捕された。
 
◎「ジョン・シルバー」の連作、「腰巻お仙」「少女仮面」「吸血姫」「盲導犬」
 「ジャガーの眼」などなど、とにかく多作。
 
◎現在も旺盛に活躍中。

唐十郎の演劇の持つ意味


ジョン・シルバー 序盤

◎唐十郎の演劇の中心にはいつも「呪い」や「呪物」がある。
登場人物たちがさまざまな形で執着しつづける「観念」もしくは「アイテム」。
しかし中心にある「呪い」や「呪物」は、唐の演劇ではいつも存在しないか到達不可能である。
だからつねに、「来ない何か」「幻の何か」を追う物語、どこかへ進んでいくのではなくあてもなく放浪する物語になる。
そして物語は脱線し予測不可能になっていく。
真の解決が訪れないからこそ、その途中でいくらでも脱線できるという仕組み。

鐵仮面



参考:ゴドーを待ちながら




70年代と失われたロマン


■70年代サブカルチャーの中核にあったのは、「失われたロマン」を求めつづける姿勢。そのための武器になったのが「アンチ・モダン」の思想だった。

■70年代の「良心的に」「豊かに」「合理的に」なっていく社会が、逆に「ロマン」をもとめる逆説的なカルチャーを生み出した。
戦後デモクラシーが完全に定着し、経済的にも順調で、大きな紛争に関わる機会もなく、70年代の日本は平和そのものでありながらひたすら加速しつづけていた。
そういう「うまくいきすぎている」社会では、人間のネガティブな発想、毒を持った発想自体が無意識のうちに排除されていく面がある。
だからこそ、その社会を「近代性の牢獄」「豊かさの監獄」と捉えるカルチャー、人の醜さや無価値な幻想に価値を見出すコンテンツが価値を持った。

■唐十郎の演劇や「猟奇王」では、主人公はロマンに満ちた「黄金時代」の記憶を持ちながら、現在は零落している存在。
「黄金時代」は、日本の戦前であったり、海賊が跋扈していた大航海時代だったりするわけだが、その時代に憧れる気持ちが「幻想」であることも彼らは自覚している。
彼らを縛り続ける「黄金時代の記憶」が、「今でないどこか」「ここでないどこか」を求める気持ちの拠り所にすぎないことを自覚しつつ、彼らはどうしようもなくその記憶に取り憑かれ、再現するためにさまよい続ける。
これが70年代のサブカルチャーを貫く「ロマン」というテーマである。

■「ロマン」に惹かれて終わりのない放浪をする情動と、醒めた相対的な視点が、ひとつの作品のなかに同居しているのが70年代の先端的な作品の特徴。
 それが全てを相対化しコラージュの素材にする発想を生み出す。

■が、アングラ演劇の真のテーマであった「ロマン」は80年代に入ると急激に失われ、「ウェルメイド」の時代が来ることになる。





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