2000年代の世界

2001 9/11、アメリカで同時多発テロ発生。貿易センタービルに飛行機が激突。



2001 10/7、アフガニスタンに対しNATO軍が空爆開始、テロ組織アルカイーダを庇護したタリバン政権への報復。
2001 エネルギー&IT企業エンロンが破綻。米史上最大の企業破綻。
2002 電気通信企業ワールドコムが破綻。エンロンを抜いて米史上最大の破綻となる。負債総額410億ドル、なんと5兆円近い。
2002 この頃からアメリカで「サブプライムローン」と呼ばれる低負担の住宅ローンと、その証券化を用いた住宅ロンダリングが流行。
2003 3/20、イラク戦争(第三次湾岸戦争)始まる。アメリカを主体にした国際軍がイラクに進攻。
2004 スマトラ沖大地震発生。死者行方不明30万人以上。
2005 ハリケーン・カトリーナ、アメリカに大きな被害をもたらす。
2007 ブルガリアとルーマニアがEUに加盟。バルト三国が共通通貨ユーロを導入。
2008 リーマン・ブラザーズ破綻。負債総額60兆円。いわゆるリーマンショック。アメリカの不動産投資(サブプライムローン)バブル崩壊。
2008 チベット騒乱。中国の自治区に組み込まれていたチベットで一部市民が反乱を起こすが鎮圧された。
2009 バラク・オバマ、アメリカ大統領に就任。史上初の黒人大統領。
2009 ウイグル騒乱。やはり中国の自治区になっていたウイグル地区で反乱、多数の死者を出し鎮圧される。

ゼロ年代は「グローバリズム」の時代だった


グローバリズム_wikipedia

「グローバリズム」とは、全ては「グローバル」、すなわち汎地球的になるべきだという思想のこと。

世界中のなるべくたくさんの人々が、なるべくたくさんのもの(信念、常識、貨幣、経済ルール)を共有することで、 人と人は、たとえ異なる文化と出自を持っていても、コミュニケーションしやすくなり、わかりあえ、仕事もしやすくなる、という考え方である。

長い東西冷戦が終わったことで、グローバリズムの気運は90年代に一気に高まった。

グローバリズムとは、冷戦の時代が一区切りついたあと、ポストモダンに突入し人々がバラバラになっていくのを、「共有という理想」の名のもとに防ごうとした運動といえる。

「グローバリズム」という夢 アメリカ編


冷戦の勝者となったアメリカは、「自由、民主主義、市場経済」を世界中に広めることを自らの使命と考えるようになった。
低迷期に入った日本経済とは裏腹に、2000年代はじめの世界経済は絶好調で、それがアメリカの信念を強めていた。

アメリカのいうグローバリズムは、ヨーロッパのグローバリズムとは根本的に違う。
欧州のグローバリズムは、いずれ「国境」をなくし国という枠をなくして人類を一体化させる、という大胆かつ夢想的なものだったが、アメリカにはその発想自体がなかった。

自分たちは勝った、だから世界は自分たちに同化していくべきだ、というのがアメリカ的なグローバリズムであり、極端な話、全世界がアメリカが決めたルールで生きるべきだ、という考え方である。
勝者が全てを決める論理であり、またその後ろには、「冷戦に勝ったのだからもっと俺らは世界で儲けるべき」といったエゴイスティックな本音が隠れていたことも否めない。
他者と一体化するためにはそれぞれが少しずつ何かを差し出し何かを失わないといけない、つまり妥協が必要なのだが、アメリカは何も失う気がなく自分を変える気もなかった。

勝っている状態になると自国の理想を押し付けてくる、というのは、1945年の日本にたいする態度と全く同じである。日本の時も大きな潜在的反米感情を生んだが、ゼロ年代のアメリカにたいする反発はその比ではなかった。
日本のときには戦争に完敗したというはっきりした負けの事実があったが、世界の多くの国々や地域は、直接アメリカに負けたわけではないからである。

アメリカ的グローバリズム、すなわち思想の押し付けと大資本搾取は90年代から大々的に始まり、文化の違う地域で反発を受ける結果になった。それが2001年の9.11テロという最悪の形を取って現れた。
以降、アメリカは「受け取ろうとしないなら無理やり受け取らせてやる」と言わんばかりの強引な軍事行動を繰り返す。
こういったアメリカの政治志向を「ネオコン(新保守主義)」と呼ぶ。

アメリカ的な思想の奥底にあるのは、世界はある種のパワーゲームだという感覚。
ゲームだから公正でなくてはならず自由度がなくてはならない、というフェアな発想と、ルールの範囲内なら何をしてもいいという感覚が入り混じっている。
だからアメリカが考える公正と自由度を守るために問答無用のパワープレイを行ってなにもかも押しつぶす、ということが普通に起きる。2000年代のアメリカは完全にゴリ押しプレイに走っていた。
普通にゲームをやればアメリカが一番強い、という意識がその奥底にはあった。それはグローバリズムと呼ばれながら実質はグローバリズムと真逆な部分を多く含んでいた。

しかし全ては2008年のリーマンショックあたりから反転していく。アメリカが手を出した中東もアフガニスタンもみな泥沼化した。
なにより、ウォール街やワシントンでパワーゲームを繰り返すアメリカ的エリートたちの意識が、国内でも貧乏な下層階級の人々、とくにアメリカ中部の白人たちの反発を買った。
2010年代に入ると、アメリカは内部に修復不可能な政治的分断を抱え、自国の面倒を見るので精一杯になっていく。

もっとも「誰からも反発されない大統領」であったバラク・オバマが、ほぼ何もできずに任期を終えたあたりにアメリカの病の深刻さがうかがえる。 そして続くドナルド・トランプは、「アメリカはアメリカの利益しか考えない」と宣言し、アメリカ的グローバリズムを明確に否定した。 言い換えれば、グローバリズムという美名を建前に使ってうまいことやろうというずるい発想を否定した、ともいえる。
トランプが数々の問題行動にもかかわらず一定の支持を集めつづけたのは、ゼロ年代のアメリカングローバリズムの偽善に多くのアメリカ人自身が飽き飽きしていたからかもしれない。

「グローバリズム」という夢 ヨーロッパ編


ヨーロッパでは、1993年に創設されたEU(ヨーロッパ共同体)に多くの国々が加盟し「グローバリズム先進地域」として希望にあふれていたように見えた。
ヨーロッパのグローバリズムのルーツは「社会民主主義」にある。
穏やかで平和的な手続きのもとで、個人の考え方に任せるのではなく社会全体をひとつの方向へ改良していこうという考え方である。そしてその「方向」こそが、20世紀末においてはグローバリズムであった。

リベラル思想の故郷である欧州はもともと社会主義的なものへ親近感を抱くエリート層を抱えていた。
あくまで民主的に、ルールを決めて多くのものを多くの人々が共有する、という理想はヨーロッパのインテリ層がずっと抱えてきたものであり、二度の世界大戦を引き起こした人々にとって平和のためのマイルストーンとなる考え方であった。
「欧州ではその社会改良の思想を多くの人間が共有している、だから全てがうまくいく」と多くの知識人や政治家が考えていた。

しかし歴史的にいえば、ヨーロッパ諸国は仲がいい国より仲が悪い国同士のほうが多い。文化も歴史も違うし感覚も違う。
そこを克服するために掲げられた理念が「多文化主義」であった。それぞれの国は他の国のカルチャーをできるかぎり許し、受け入れることで複数の文化を自国内に抱える。
そのことによって私たちはより客観的、複合的で健全な視点を持ち多くのことが理解できるようになる、というのが多文化主義。

が、2000年代の終わりにはギリシャが財政破綻の危機に陥り、貨幣や経済システムを広く共有しているがゆえに地域独自の政策が取れない、というジレンマが明らかになってゆく。
とともに、なぜ劣等生のために自分らがお金を出すのか、という不満が各国に生まれはじめ、EUの雰囲気は一気に悪化していった。

それに輪をかけたのがイスラム系難民の受け入れで、全くカルチャー的に噛み合わない移民の存在はヨーロッパの市民にとって悩みの種になった。
そもそもヨーロッパは、アフリカ、アジア、南米などの地域を植民地化し資産を収奪しつつ、持ち帰った財産をヨーロッパ独自のものとすることで発展してきた面がある。
難民受け入れはそういった自分たちの過去の「原罪」への償いという面があったが、償いだから街が汚れてもいいし犯罪が増えてもいいとは多くの一般市民は考えなかった。

2010年代になると、ヨーロッパでも、自分たちは自分たちの国、自分たちの地域を優先するし守る、という自国主義、ローカル主義が台頭してきた。
その奥には、アメリカ同様、理想的なことばかり口にして現実の軋轢を無視するEUの偉い人たちへの反発があった。

結論からいえば、ヨーロッパは理想があればなんでもできると思いすぎ、人間の持つ本質的な身勝手さや考え方の多様さを甘くみていた。
ポストモダンにおいて人々の意見が割れていく状況を把握しきれず、「なんだかんだ私たちは長いあいだの隣人であり同類だから」という安易な仲間意識に頼りすぎていたともいえる。

2020年のイギリスのEU離脱によって、ヨーロッパ内の「反グローバリズム」の流れはもはや無視できないほどになっている。
しかしアメリカのそれとは違い、ヨーロッパのグローバリズムはまさに「悲願」と呼べるものであり、それにこだわる人々もまた多い。

ヨーロッパ的グローバリズムはその本質に社会主義的の負の要素、すなわち「社会統制」への傾斜を含んでいる。
人の考え方自体を、「共有」といいつつ実質的に「統一」し、それに背くものを細かく監視しチェックしていく志向である。
美しい理想がつねにそうであるように、ヨーロピアングローバリズムもまた無視できない危うさを持っている。
反グローバリズム主義者たちは、なによりその危うさに反応しているのだと言えるだろう。

「グローバリズム」の相棒、「新自由主義」


90年代後半から0年代前半にかけて、アメリカがグローバリズムとセットで推進したのが「新自由主義」である。
これはつまり、「なるべく公共は余計なことをせず、経済は市場の人たち(企業、資本家)にまかせておけばうまくいく」という考え方。
日本だけでなく世界中で行われていた「公共投資」、「国による雇用創出」を否定し、政府の権限と規模をなるべく小さくしようという思想。
この裏側にあったのは、世界各国で深刻化していた国の財政赤字であった。

「市場に任せればうまくいく」のかどうかは、0年代前半までの人たちには誰にも正解はわからなかった。一種の実験でもあった。
常識も考え方も違う多くの人たちが経済という同じゲームをプレイしようとしたら、「自由にやらせて流れに身を任せる」以外にやりようがなかったともいえる。

が、2008年のリーマンショックが、世界の、リーマンとはあまり関係のない国々ですら甚大な悪影響を及ぼし世界恐慌に近い事態になると 新自由主義の旗色は一気に悪化。2010年のギリシャ危機と、各国での移民流入による雇用の不安定化で、少なくともグローバリズムとセットの新自由主義はトドメをさされた。



「グローバリズム」とリーマンショック


ウォール街や兜町で働く金融マンや投資家は、「自分がいかに稼ぐか、いかに儲けるか」しか考えていない。そういう仕事なのである。
彼らにとって、グローバリズムとは「変数が増えること」であった。つまり、遠く離れた、よくわからん異国や他地域の株価や為替が、なぜか自分の投資に関係してくるということであった。
変数が増えるほど、なにかの価格は不安定になり揺れ動くようになる。そして彼らは、「安く買い高く売る」ことで儲けるので、価格が不安定になればなるほど儲けるチャンスが増える、と考える。
言い換えれば、「価格が動くから儲かりますよ」と誰かを説得して何かを買わせる余地が生まれる、ということである。

このようにして、「金融商品(デリバティブ)」なる奇っ怪な商品が生まれた。これは、価格が変動する要素を複数詰め込んだ、バラバラな債券や株などのセットである。つまりどんどん価値が変わることを目的として作られたキメラ商品である。
だから価値が上がるタイミングでこれを買えばものすごく儲かる。

この金融商品の中核に、「安定して価格が上がる要素」を組み込めば、なにも考えなくても儲かる夢の商品が完成する。その安定要素として、アメリカの住宅価格が選ばれた。
ゼロ年代前半のアメリカの住宅価格は安定して上昇しており、サブプライムローンというお得なローンがひろく普及していたからである。最大手投資銀行のリーマン・ブラザーズは、このローンを中核とした金融商品を全世界に大々的に売った。
2008年、ついに住宅価格が下がりはじめ、サブプライムローンの支払いができない人が続出する。するとこの金融商品の価値も下がり、世界経済を巻き込む大パニックになった。これがリーマンショックである。

なにかの値段が永遠に上がり続けると錯覚する、ということでは日本のバブル崩壊と瓜二つである。ただし、金融商品という複雑怪奇な商品が主役になったことで、その影響も複雑化しまくった。
その金融商品に組み込まれた別の債券、別の株、別の価格も下がり恐慌状態になったのである。そしてあまりに複雑に商品の中の数字が組み合わされていたので、その影響を正確に測ることすら不可能に近かった。
商品は世界中で買われており、あらゆる経済的数値が連動して動き、世界中でパニックは広がった。

リーマンショックの本当の原因とは?日本への影響を簡単に解説します

結局のところ、リーマンショックが起きた原因とは何か?
それは、「グローバリズムによって変動要素が増えたにも関わらず、関係者が全員、自分の都合のみで動き、誰も全体がどうなるかを見なかったから」ということになるだろう。
たとえばサブプライムローンを組んだローン会社は、ローンを組むだけ組んだらそのローンをまるごと金融会社に売ってしまっていた。
つまり、「ほんとにそのローンは払えるのか」にたいして責任を放棄していた。一事が万事、このリーマンショックに関わった金融のプロたちはほぼ全員がそんな態度であった。
だから、何かが少しでもうまくいかなくなるとそれを食い止める仕組みも人もない状態になっていたのである。
そしてその誰かの無責任の結果は、なんの関係もない離れた国、離れた地域の人にも襲いかかった。

リーマンショックはグローバリズムのマイナス部分を凝縮したような出来事であり、グローバリズムの不可能性をあぶり出すことになった。

新自由主義とグローバリズムの権化 …… 小泉純一郎の功罪


ゼロ年代の日本は、いまだにバブル崩壊の後始末を続けていた。多くの銀行が潰れ、市場からお金は減り、就職口は乏しいままだった。
そんななか、総理大臣となった小泉純一郎は、アメリカが追ったグローバリズムと新自由主義の夢に、100%乗っかることで状況を打開しようと考えた。
アメリカ外交を徹底的に支持するとともに、本家アメリカを超えて「構造改革(新自由主義)」の夢を追った。
すなわち、政府を徹底的に小さくし公務員を減らし、そのぶんの雇用を民間にやってもらうことで雇用を作る、という筋書き。
その典型が「郵政民営化」であり、たしかに郵政公社を民間企業にすることで公務員の数は一気に減った。

よく、郵政民営化はなんの意味があったのか、と疑問を持たれる。なぜならたしかに郵便関係者は公務員ではなくなり、政府が給料を払うことはなくなったが、違いはただそれだけだからである。
日本郵政という企業になっても、中で働くひとたちはほとんどがそのまま働いていた。仕事内容が激変したわけでもなく、給料もたいして変わらなかった。
ちょっと政府財政が助かっただけのことに、なぜ日本あげて大騒ぎし、小泉のライフワークとまで呼ばれたのか。

それは、日本郵政の社員たちは、「いつでも解雇できるし転職できる、フリーの経済的存在」になったということが大きい。新自由主義とは、こういう「普通のワーカー」を増やすことが経済の活性化につながるという 思想であった。
しかし実際は、「フリーの経済的存在」とは、安く使われ身分保障すらない契約社員やアルバイトになる、ということに直結していく。
皮肉なことに、この契約社員の仕組みでもっとも儲けたのは、小泉の最大の経済的ブレーンと呼ばれた竹中平蔵ひきいる人材派遣企業「パソナ」であった。

また、金融面でも「なるべく何もしない」という方針を貫き、結果、日本はダラダラとデフレ状態が続くことに。
また、市場を自由化したことで外国から商品がどんどん入ってくることになり、競争の結果日本の消費者は安くて良いものを手にできるようなったが、 それは日本企業の体力を削ぐことでもあった。

こういった小泉内閣の方針は、当時は支持されたが、リーマンショック以降は一気に批判が強まった。
が、これは日本だけが愚かだったわけではなく、世界的な流れであった。

リーマンショックの2年前という最悪のタイミングで小泉の後継者となった安倍晋三は第一次内閣で無残に失敗し、 民主党政権を経て、新自由主義からかなり離れた経済政策を打ち出したが、それがうまくいったかどうかもいまだに議論が絶えない。

そして変化だけは残った …… グローバリズム実験の夢のあと


◎安定した職業とされていたサラリーマンが、非正規化、ブラック企業問題、過労死問題、リストラの日常化など、安定イメージを急激に失った。「社畜」という言葉が生まれた。

 →その背景にあるのは、企業そのものの収益モデルが不安定化したこと。

◎もっとも安心な職業とされた公務員は構造改革で激減。いちばんオイシイ仕事であったマスコミは人でなし扱いに。

◎いざとなれば帰れるはずの「地方経済」は、個人小売が壊滅しシャッター街化。コンビニと郊外型ショッピングモールだけが発達する形へ。

◎日本国民の半分近くが興味を持つような、幅広く人気のあるコンテンツはほぼ消え、趣味志向はどこまでも細分化し、メジャーというものが消えていった。

2000年代のヒット曲

 →マスマーケティング、スケールメリットの消失、そこそこ良質というだけでは収益が出ない時代へ
 
 → ソニー、シャープ、NECなどの凋落

マクドナルドの失敗が告げる「戦後モデル」の終わり(前篇)
マクドナルドの失敗が告げる「戦後モデル」の終わり(後編)

◎製造業の安定雇用が崩れたことで、労働者はサービスや介護などに偏り、労働単価は下がっていった。

◎デフレと円高によって、良いものはかなり安く手に入り、安く人が雇える。+ 規制緩和。

 →ベンチャーは起業しやすくなってゆく。六本木ヒルズの大半のフロアをベンチャー系が占める事態に。

◎ある意味、「構造改革」の名のもとに構想した通りに、日本の社会は安上がりになり平等になった。

 →が、そこに待っていたのは、大ヒットや安定した収入がなかなか得られない微妙に貧乏な社会。
 
 →そしてその社会は、世界経済の影響を非常に受けやすく脆かった。

◎日本の人々の意識は完全にグローバリズムの夢から醒め、身近なもの、ローカルなものに共感が集まるようになる。

 →「意識高い系」がしばしば笑いのネタになるのも、リーマンショック前のエリート意識に人々がいまだに根強い反感を持っていることが遠因。

→海外で生活した経験を金科玉条のように振り回す人を「出羽守」と呼び忌避する傾向も同様。「世界基準」に日本人は違和感を持つようになった。





inserted by FC2 system