戦後日本の世相 まとめ

1945~1950年ごろ


戦争に負けた日本はアメリカによる社会的、精神的なリセットを受ける。そして持ち込まれたのが「戦後デモクラシー」であった。
アメリカの掌返しに翻弄されつつ、アメリカの思想と文化に影響を受け続ける流れがこの時期に確定する。
このとき生まれた反米感情は日本の世相に長く影を落とすことになる。

また、坂口安吾が「堕落」と呼んで予言したある種の俗世主義が、これまでのストイックな文化に代わり日本人の中心的態度となっていった。

1950年~1960年ごろ


1950年ごろに始まった急速な日本の経済成長は、アメリカの影響も受けて、またたくまに企業中心の、サラリーマンが多数を占める社会を生み出した。
日本独自の終身雇用によって人々の暮らしは安定する反面、生き方の自由度は失われ「どこの会社に勤めているか」が最重要とされる風潮が生まれた。終戦直後の日本に存在した、戦後の新しい日本に対するワクワク感、ファンタジーの感覚はあっというまに消えていくことになる。

また、東西冷戦の本格化を受け、日本国内ではアメリカに随伴する方針にたいする疑問や怒りが増していく。
それは60年安保闘争という政治的騒乱に発展していった。

1960年~1970年ごろ


日本型資本主義社会は急速に発展し、日本は世界の表舞台に復帰し地位を上げてゆく。
基本的には希望に満ちた雰囲気が漂うなか、欧米で生まれた若者文化(ヒッピームーブメント、ロックカルチャー)の影響を受け、ひたすら走り続ける日本社会にたいする違和感を表現するコンテンツが日本にも生まれかけていた。

しかしそういったコンテンツの大半は、「資本主義か、共産主義か」という政治的イデオロギーの表現に収斂してしまう。そして1970年ごろに起きた全共闘の紛争とその悲惨な結末によって、おおくが短命で終わり忘れられていくことになった。

1970年~1980年ごろ


完全に新しい社会システムを作り上げた日本は、相変わらず発展を続けつつ安定期に入る。
なにも起きない近代的な日本というイメージが定着し、人々はわずか数十年前のサバイバルを忘れ始める。
経済的余裕の出た社会には、漫画をはじめとした新しいカルチャーの花が咲き乱れた。

平和で退屈で即物的でガッチリと枠組みが決まった社会にたいし、先鋭的なアングラカルチャーの表現者たちは、社会の底へ潜り社会の外をさまよう、どこにも行き着かないロマンを作品にし、時代にたいするカウンターを表現していくことになる。

1980年~1985年ごろ


日本の経済的なパワーはついに世界を制するところまで到達する。なかでも製造業は確固たるブランド力を築いた。
日本人は自らの歩みを誇り、自国の社会システムと文化は他国より優れているとナチュラルに考えるようになっていく。

そんな中、社会にたいする違和を表明するような、70年代の薄暗く混沌としたコンテンツは少しずつ見向きされなくなっていった。

1985年~1993年ごろ


戦後日本の特異点とも呼べる異様な数年間。
異常なほどの金余り現象のなか、日本人の関心はひたすらに金儲けと恋愛とおしゃれな遊びに向かった。
政治イデオロギーも社会への違和も歴史への関心もすべてが吹き飛ばされ、人々はテレビドラマと現実が地続きであるかのような錯覚に酔った。戦後日本人の「堕落」はここに極まった。

その裏側で、世界的にある種の変化が進行していた。近代的な価値観が力を失い、人々の考え方がバラバラになってく「ポストモダン」の始まりである。

また、約40年続いた東西冷戦はソ連の崩壊で決着し、世界の人々は新しい世界のあり方を探し始めていた。

1993年~1999年ごろ


バブル経済の崩壊によって、絶頂にいた日本は坂道を転げ落ちていく。
この時期から、戦後日本を支えていた価値観、すなわち日本的資本主義や労働至上主義、そして「堕落」の俗世主義などといった価値観が崩れ始める。実質的な戦後の終わりである。

人々の考え方は80年代とうってかわって真面目になっていく。が、その真面目さはまだ日本人に深く根ざしたものというより、先行きが見えない不安から来るとりあえずの真面目さであった。

世紀末ということもあいまって、時代の夕暮れ、終末、といった言葉が語られ始め、人々はぼんやりした不安定な雰囲気のなかで生きていた。

2000年~2010年ごろ


欧米を中心に、冷戦後の世界のあり方として多くの人が夢見たのがグローバリズムだった。ポスト戦後を生き始めた日本もその潮流に丸乗りしていくことになる。

しかしグローバリズムの名のもと世界にはトラブルと戦争が絶えない状態がつづき、やがて2008年、リーマンショックによって世界各国が連鎖的に経済恐慌に陥ると、グローバリズムの夢はあせ、ローカリズム、民族主義、そして反エリート主義が台頭していくことになる。

日本においては、グローバリズムの一環として語られた新自由主義(構造改革)という名目のもと、終身雇用の解体、公務員組織の解体、規制緩和などで、多くの戦後的なシステムや縛りが解体されていった。戦後社会を縛っていた堅苦しさは消えていき人生の自由度は増したが、頼るべき国家のシステム、社会のシステムもまた消え、一度落ちたら誰も救ってくれない社会が姿を現しつつあった。

この時期の日本の物語コンテンツには、アウトロー、アンチヒーロー、狂った革命家がひんぱんに登場する。社会や周囲の人間たちを冷たく観察し、個人の意志と行動で何かを為そうとする、人間不信の主人公たちである。



何かを変えなくてはならないという考え方に突き動かされながら、頼るべき人も根拠もないので孤独に暴走するしかない。そういう人物たちである。
1990年代のふわふわした抽象的な綺麗事は減り、登場人物の命の価値が問われるようなシリアスで過激なコンテンツが多くなった。「バトルロワイヤル」や、ゼロ年代最高のSF小説といわれる「虐殺器官」などである。


そして2022年、虐殺器官やバトルロワイヤルやデスノートの中に出てくるような行動をする人間が、現実に現れ世界に衝撃を与えた。いうまでもなく、ロシアの大統領プーチンである。
プーチンのバックボーンにあるスラブ的陰謀論、狂った正義感、過大な英雄幻想、全て2000年代の世界に少しずつ準備され蓄えられてきたものである。
そういう意味で、プーチンはたんなる狂人ではなく時代が生んだ何かだといえる。

2020年代の私たちは、どのような場所にいるのか

1)私たちは、「ポスト戦後」「ポストモダン」の流れのなかで漂流を続けている


戦後の実質的な終わりだった1995年から25年。ポストモダンの開始時期とされる1980年代中盤からは35年ほど。
私たち日本人は、グローバリズムや新自由主義を信じた時期を持ちながらも、はっきりした目標や強いイデオロギーを掲げることができないまま、数十年間の時を過ごしている。

日本だけでなく世界全体が、冷戦後の、そしてポストモダンにおいての新しい価値観、新しい目標を定めることができていない。
現在の私たちの社会は、歴史的な視点でいえばけっして不安定ではなくそこまで貧しくもないが、さほど先行きが明るいわけでもない。
少子高齢化が顕在化しているいま、日本の国としてのパワーは限定されており、国際情勢によってゆらぎやすい状態が続いている。ほどほどの状態をがんばって保ちつつ、不安定要因にじっと耐えている状態というべきかもしれない。

このような行き詰まり感が漂う時期は過去の歴史にも何度もあったが、歴史上ではそのたび、戦争や大天災などのカタストロフが起き、時代はリセットされてきた。
しかし高度に構成され、政治経済教育文化社会保障など、無数の分野で無数の要素が国を越えて絡み合う現代社会では、時代のリセットなど簡単にできるはずもない。
だからこそ、私たちはゆるやかな漂流に耐え続けている。

追記:2022年に入り、私たちの薄暮の中の漂流はいよいよ終わりに近づいてきた気配がある。台湾有事の可能性である。
ロシアのウクライナ侵攻から動き始めた新しい時の流れは、世界を極端に不安定化させつつある。
日本の時の流れは、ふたたび激流に向かっていく可能性がかなり高い。私たちはかつてないほど集中して目を見開き、時代とそれにともなう人の心の変化を見逃さないようにすべきである。
そしてなによりも、事変による時代リセットを安易に望まないことである。現代における戦争は徹底的な破滅を招く可能性があるからであり、また、時代を人任せ、事件任せにする心象は人間をダメにするからである。

2)私たちが真面目でいるのは、真面目でいるしかないからである


戦後の終わりごろ、すなわち1990年代中盤から、私たち日本人は確実に生真面目になり、モラルやルールを守る人たちに変わってきている。
2011年の東日本大震災での日本人の静かで誠実な態度は、世界中から称賛を浴びた。

【海外の反応・並ぶ日本人】一件の強奪もないなんて、信じられん国だ・・・東日本大震災時、配給を待って並ぶ日本人の姿を見た海外の反応


坂口安吾が看破したように、これは日本人が古来築いてきた態度である。私たちには本や教育によって、「日本人らしい控えめで毅然とした、金や名誉にこだわらない態度」という美徳が刷り込まれている。
が、ここまで見てきたように、実は戦後の日本人はそんな美徳をかなり蹴飛ばして生きていたし、蹴飛ばした者が勝ち組になっていた。
多くの日本人が俗世的なエゴや優越感を剥き出しにしていたのは、そう昔のことではない。
ストイックな美徳はたしかに日本人の中に色濃くあるものだが、それだけが日本人の本質ではなく、時代が許せば私たちはそんなものはかんたんに捨ててしまう。

現在、私たちがとても真面目になり、小さな気遣いやルール、親切さや思いやりを大切にしているのは、そうでないと生きづらい時代に生きているから、という面が大きい。
ポストモダンにおいて他人と大きな価値観が共有しづらくなり、戦後日本のような人を枠にはめて管理できる強固なシステムが動いているわけでもなく、かといって力づくでのし上がることも難しい社会では、何を持って他人を信じたり信じなかったりすればいいのかわからない。だからこそ人は、最低限隣人を信じる条件として「真面目さ」を自分にも他人にも求める。それが社会で生きるためのチケットになる。

その「真面目さへの要求」は一種の社会的圧力となりつつあり、それは2010年代の日本でどんどん強まっていったように見える。
たとえば1990年代の終わりから2000年代、マンガ誌「ヤングマガジン」には「真面目に生きられないダメな奴ら」の漫画が集まっていて、それなりに売れていた。その代表が古谷実である。





しかしこういった、ダメな人間を直視しつつ笑いやホラーに変える作風は2010年代に入るとしだいにヤングマガジンから淘汰されていく。2016年のヒット作である「一日外出録ハンチョウ」になると、主人公は怪しい地下労働施設で働く中間管理職というダメな人物でありながら、言動は超がつくほどポジティブで真面目である。



私たちは「心底ダメな人間」「ひとに迷惑をかけてしまう人間」「役に立たない人間」を、ぬるく見守る視点を少しずつ確実に失っている。それは悪いことではなく、時代の変化としか言いようがないが、そこで失われていくものも確実にあるだろう。

3)価値観を微妙に共有できない私たちは、全てに「因果応報」を求める


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「真面目さ」「ちゃんとしていること」を求める私たちの心の奥底にあるのは、他者と微妙に価値観が共有できないことへの不安である。
私たちは、「悪が裁かれないこと」「善が報われないこと」に我慢できない。なぜなら、もし悪が全く裁かれず善が全く報われないなら、私たちが生きる指標にしている真面目さも意味をなくすからである。

因果応報が果たされることで、私たちは安心し周囲を敵対的でないと認識できる。因果応報への欲求は、私たちの本能に近い所から出てきている欲求である。

かつての世界では、因果応報とは「世界を覆う大きな秩序に従わないこと」にたいする結果であった。ヨーロッパ中世で魔女が火炙りになったのは、それがカトリック的秩序に逆らう存在だったからで、現代でいう「悪」とはそもそも違う。「世界秩序からのハズレ者」を悪と呼んでいただけである。長いあいだ、世界の「悪」とはそういうものであり、そういうものであることをみんな問題にはしなかった。水戸黄門は、悪代官を「ひどいことをした」というぼやっとした理由で裁くが、彼が裁く立場にいられる理由は彼が江戸幕府という大きな秩序の偉い人だからであり、それ以外に理由はない。

しかしポストモダンにおいては、なにが悪かを定める世界秩序自体が揺らいでいてないも同然である。だからこそ、私たちはわかりやすい悪行がわかりやすく裁かれる因果応報を、昔と比べてもより求めてしまう。

4)私たちは「エモ(エモーショナル)」と「わかりみ(共感)」を通じて、新しい生き方をローカルな場で作り直そうとしている


2000年代から2010年代のはじめにかけて、ネットでもグローバルな動きがひろがり、GoogleやAmazonといったスーパネット企業を中心に、疑似集合知とでもいうべきネットのあり方が成立したかに見えた。

が、2020年のネット状況を見れば、それがはかない夢であったことがわかる。たとえばAmazonは大量の中国製バッタものに占拠され、レビューもほとんどがヤラセである。数の力で問題を解決するということは、数の力でかんたんに汚染されるということでもある。

ネットは信用できない。私たちが集団となったとき、私たちは信用できない厄介な存在である。そういう認識が少しずつ広がりつつある。そんな中で、私たちが毀誉褒貶や賛否両論から離れて、なにかをわりとピュアな形で共有できるとしたら、それは「エモさ」と「わかりみ」であろう。

「エモい」という言葉に明確な定義はなく、ただなんとなく「胸に来る」「感情が動かされる」というぐらいの意味である。だが、それを重視するというのは、たとえば1990年代のこれ言っとけばええやろ的な「愛」とか「勇気」とかいう言葉ではなく、言葉だけに頼らないところで生まれるイメージや印象を大切にするということである。「なんかいい」「なんか尊い」を素直に言える時代がようやく私たちに訪れているといえるかもしれない。

また、「わかりみ」というのは新しいネット用語であるが、これはunderstandable(理解できる)ではなくshareable(共有できる)という意味である。だから「わかりやすい」「よくわかる」ではなく、わざわざ「わかりみが深い」という。理解ではなく共有だということを示すためである。

「そうそうそうだよね」という事柄をコツコツと他人と共有していくことで、足元からコミュニケーションを再構築し、新しいモラルや指針を作っていく……。たとえ本人たちは意識していなくても、そういう志向を持つ人々が増えつつある。

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