物語の三要素、「ストーリーライン」「イメージ」「キャラクター」の構造はこうなっている



●ストーリーライン(筋立て)は、全体の形や大きさを決める容器、すなわち「コップ」。
●イメージは、コップの中に入るものそのもの。コップの中を満たす、基幹となる物質「水」。
●キャラクターはイメージから作られ、もっとも人を楽しませる「氷」。



●ストーリーライン(筋立て)は、クレープ全体を包む「皮」。
●イメージは、クレープのの皮に包まれる「具材」。
●キャラクターは、具材の中でもクレープの売りとなる「トッピング」。

冒険物語とは


主人公が未知の世界、未知の環境に行き、新しい経験をする物語を「冒険物語」と呼ぶ。
「物語」と呼ばれるもののほとんどが、広く意味を取ればこの「冒険物語」の要素を何かの形で含む。 ミステリー、サスペンス、ホラー、学園物、多くの恋愛物も、主人公に新しい経験をさせる物語、という意味では冒険物語の一種と考えることができる。
「冒険物語」は人間の考える物語の基礎であり、エンターテインメントの基盤であるといえる。
「文学作品」の一部は、意図的に冒険物語を変形させたり遠ざけたりすることで独自の文学性を出している。

「冒険物語」には共通の構造があり、パターンが決まっている。すなわち、この世のほとんどの物語は同じようなパターンできている。

冒険物語の構造 かんたんなまとめ


冒険物語の構成は大きく3つのパートに分かれる。<越境><冒険><帰還>である。

<越境>
1)あらゆる冒険物語は「越境する」ことから始まる、このとき主人公の多くは行動の動機を与えられる。
2)主人公は能力(または道具)を授かるか、あるいは制限を受ける。

<冒険>
3)主人公は越境した先、すなわち「異界」から影響を受け変化する、多くは成長する。
4)主人公は異界の抱える問題に影響を与える、たいていは解決する。

<帰還>
5)多くの場合、主人公はもう一度境を越えて帰ってくる。ただし主人公は<冒険>によって変化しており、戻ってきたあとの日常は<越境>の前とは異なることが多い。


あらゆる冒険物語は「越境」から始まる


全ての冒険物語の心理的基礎にあるのは、私たちが幼少期に体験する「知らないところへ行く」というイベント。私たちはこれを繰り返すことで成長し大人になってきた。 だから、「遠いところ、知らないところへ行く」という経験の重要性は、私たちの心の底に刻み込まれている。

このとき重要なのは、「もう戻れない」というせっぱつまった気持ち。
これは私たちが幼少期に、一人で歩き出し歩き回るようになったときに強烈に感じる気持ちで、このように、重大な決意をともなって行われる体験、そしてそれによる成長を、「成長儀式(イニシエーション)」と呼んでいる。 冒険物語とはイニシエーションの物語であり、だからこそ、もう戻れない世界の境目を必ず序盤で越えさせる。それは「旅立ち」だったり「流刑」だったり「転移」だったりする。

「越境」というのは、必ずしも物理的な境目ではない。 たとえばRPGの主人公は故郷の街を普通に歩き回れるが、「王様から旅に出ろと言われた」ことで、住人から旅人という「立場の境目」を越える。 「日常」から「非日常」への境目を越える、といってもいい。もはや故郷に安定して住み続けることはできない。

ファンタジー以外でも同様で、ミステリでは「殺人が起きる」という境界を越えることによって、登場人物たちはそれぞれ立場的な境目を越えることになる。 女の子はイケメンと出会い「恋に落ちる」ことによって、その男の住む環境に入りこむことになり、もう出会う前には戻れないと感じる。

ボグラーのハリウッド的物語分析(1)越境まで


物語の構造を英雄神話から分析する試みは、20世紀前半からさかんに行われるようになった。 代表的なのが1984年キャンベル「千の顔を持つ英雄」だが、これをハリウッド的にまとめなおしたのがクリストファー・ボグラーの2002年「神話の法則」。 ハリウッドのシナリオライティングの根幹をかいま見ることができる。
ここに整理されたようなシナリオ構成は「ヒーローズ・ジャーニー」と言われ、ハリウッド的なエンターテインメントの典型とされている。

ヒーローズ・ジャーニーのサンプル「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(BTTF)


ボグラーの法則では、主人公が「越境」に至るまでのプロセスは、次のように整理されている。

1)ヒーローは日常の世界にいる

主人公が住む日常の世界が描写される。ここで、主人公のプロフィール、<冒険>に出る前の主人公を取りまく環境などが示される。
BTTFでは「主人公マーティは、あまり幸せとはいえない家庭にくらす、音楽がすきな高校生である」という描写がされる。

2)冒険への誘いが来る

日常が非日常に変わる、すなわち「越境」が起きる、その最初のきっかけが提示される。ほんのちょっとしたことだったり、バカバカしいことだったりすることも多い。
BTTFでは、マーティーは町のマッドサイエンティスト、ドクにタイムマシンの実験を手伝わされる。

3)ヒーローは最初は乗り気ではない

ハリウッド的には、主人公が冒険への誘いを一度拒絶したり、もしくは誰かにやめるよう説得されたり、または主人公がやろうとしていることを誰かに妨害されたりする場面が必要だとされる。
そうすることによって、越境するということが並大抵のことではない、という強調がされ、同時に、主人公の人間らしさを際だたせられる。非常にハリウッド的なメリハリのテクニックであるといえる。
また、このポイントで重要な伏線が張られることも多い。 BTTFにおいては、タイムマシン実験にマーティーが乗り気ではない描写、また、過激派が実験中襲ってくるシークエンスなどがこれに当たる。

4)ヒーローは賢者に出会う

「庇護者」「導き手」「ガイド」と呼ばれることもある「賢者」と出会う場面。 「異界」の情報を与え、役に立つアイテムや能力を授けてくれる存在。 ここでは越境する前に出会う設定になっているが、越境したすぐ後に出会うこともある。
BTTFにおける賢者とは「ドク」であり、越境前にすでに会い冒険の誘いの役目を果たすとともに、越境後(タイムスリップ後)に若いドクと会い、こちらは本格的な賢者役をこなすことになる。

5)ヒーローは越境する

これが「越境」の場面になる。決意するか巻き込まれるかして、主人公は「越境」し、「異界」へと移動する。 BTTFにおいては、過激派から逃げている最中にスイッチを押してしまい、1955年にタイムスリップしてしまう場面がこれにあたる。
また、ここで主人公の大目的も与えられる。BTTFの場合は「現代に戻ること」という設定になる。

主人公の異能と制限


知らない異界を旅するときに、主人公はなんらかの、主人公ならではの能力を持つことになる。
それは、物語によって実にさまざまな形を取る。 「魔法」だったり「スキル」だったり「武器」だったり「便利な道具」だったり、もっと抽象的な「タフネス」や「メンタルの強さ」だったりする。 また、逆に強烈な制限がつくこともある。千と千尋の場合、「名前を失う」という制限がついている。
物語はたいてい同一の構造を持っているが、この「能力と制限」というところに物語ごとの違いがあり、物語作者はここに工夫をこらす。

英雄神話やそれを祖にもつ物語には、多くの場合「血統」が絡む。 すなわち、親やその祖先から受け継いだもの、というパターンになることが多い。 いわゆる「出生の秘密」である。民俗学的観点からここに着目したのが「貴種流離譚」という定義である。

貴種流離譚


折口信夫という日本の民俗学者が提唱した概念。日本のみならず世界中の神話に共通して現れる物語パターン。
主人公が貴い生まれであるが何らかの事情で生まれた世界から去る(たいていは貶められ追放される)、という設定を持つ物語群のこと。 貴い生まれであることで異能を持ち、にもかかわらず貶められていることで制限を受けている。そして流された先の世界で活躍し、英雄となってゆく。
典型的な例としてはスサノオの物語がある。

スサノオノミコトは日本を治める三神の末弟でありながら、粗暴な振る舞いゆえに高天原を追放され、地上をさまよううち怪物ヤマタノオロチに苦しむ人々と出会う。 生け贄に捧げられたクシナダヒメを救うためヤマタノオロチを退治したスサノオは、出雲に定住しクシナダヒメを娶って大国主神など多くの神々の父となる。

民俗学的・人類学的には「貴種」が外から来て活躍することで、現在の人間に影響を与え権威や血統を生み出したという部分が重要なのだが、 物語構造的には、もっと広義の意味で多くの物語の祖型になっている。
「貴種」というのを、別の世界、別の価値観から来た者、というふうに捉えれば、最近流行の「異世界転生もの」は完全に貴種流離譚の一種である。 その基礎になっているのはRPGだが、これはさらに典型的な貴種流離譚で、主人公が最初から「勇者」という貴種として認定されていたり、 「出生の秘密」を持っていたりすることがほとんど。

異類婚姻譚


外から来た、あきらかに違う価値観と能力を持つ者、すなわち「まれびと」と家族になるという物語パターン。 多くの「まれびと」は人間以外の動物や妖怪という設定になるので、異類婚姻譚と呼ばれる。
異類婚姻譚は、貴種流離譚を、旅するほうではなく迎えるほうから見た物語の型といえる。 スサノオ神話でいえば、クシナダヒメ側から見た物語ということになる。
ほとんどの場合、まず迎える側である主人公が異界から来た者を助け、恩返しにその者が地元に滞在し婚姻にいたるという物語であり、その多くが離別に終わる。
「雪女」や、(結婚しないパターンもあるが)「鶴の恩返し」などは典型的な異類婚姻譚。また、かぐや姫も、完結しない異類婚姻譚であると捉えることができる。 戦後日本の例でいえば、「うる星やつら」「ああっ女神さまっ」などは非常に現代的な異類婚姻譚であるといえる。
一時期のライトノベルで多用された、女の子が独身男の部屋に突然来るというパターンも、異類婚姻譚の正統な後継者。平凡な女の子が王子様的な特殊な男の子の面倒を見る、というような少女漫画も異類婚姻譚の一種と見ることができる。
異類婚姻譚は「越境」と呼べるような構造を持たないため、冒険物語の枠から外れる数少ない物語パターン。だが、冒険物語を別視点から見た物語、ということで、けっして冒険と無縁なわけではない。

主人公は冒険し変化する


主人公が越境した先で冒険をし、自分と周囲を変化させてゆくのが物語の「本編」ということになる。
冒険物語とは「成長儀式」の物語であると先に述べたが、その具体的な内容はこのパートに詰め込まれることになる。
ここには物語作者の技巧とアイデアが詰め込まれ、パターンも実に多種多様だが、ボグラーは次のように整理している。

ボグラーのハリウッド的物語分析(2)冒険


6)ヒーローは試練や支援者に出会う

主人公の仲間になる者が登場し、その仲間のドラマが展開される。
また、主人公の敵対者が登場し、その敵対者と主人公のドラマが展開される。
そしてそのどちらでも、主人公には試練が課され、それをクリアすることでさまざまな変化が起きる、というのが筋書きになる。
穏やかな成長(レベルアップ)や師との修業、人間関係の拡充、武器や道具の入手、といったイベントはこれに当たる。冒険の中の日常パートともいえる。
「サブプロット」と呼ばれる、本筋なのかどうかギリギリのやや脱線気味なサイドストーリー(多くの場合コミカルである)もここに入りこんでくる。

この部分が物語上いちばんボリュームがあり、バリエーションが作れる箇所である。RPGやRPG的物語(ライトノベルやコミック)では、八割方がこのパートでできていたり、ずっとこのパートが続いて延々と終わらないことがよくある。
BTTFの場合は、タイムスリップ直後の戸惑いからドタバタを巻き起こし、その中で若い日の両親に出会い、また両親の敵対者(不良のビフ)にも出会うことになる。

7)ヒーローは危険な場所に入ってゆく(そして事態は複雑化する)

主人公が冒険の終着点にアプローチする場面。
終着点は、主人公のいた「日常」から一番遠く、一番危険な場所であるというのが定石。指輪物語ではそれは冥王サウロンのお膝元である滅びの山だった。
BTTFの場合は、それは「若い日の母親に惚れられてしまう」という事態で、両親をくっつけなければ自分が消えてしまう、という具体的な危機が示される。

シナリオによっては、終着点に近づくことで一気にさまざまな問題が表面化し、主人公が失敗したり裏切られたりする展開があることも多い。これをボグラーは複雑化と呼ぶ。複雑化の場面に力を入れる物語は重厚になりシリアスさを増すが、展開のスピード感が失われがち。現在の漫画でいうと、「ワンピース」「ナルト」「ブリーチ」など、ジャンプの漫画は複雑化に極端に偏る展開になりがち。

8)ヒーローは最大の試練を迎える

日本的に言い換えると「最終決戦」「ラスボス戦」。主人公は死に近づくほどの苦難を受けつつ、終着点にいる最大の敵に立ち向かう。
BTTFの場合、両親をパーティーで仲良くさせるため奮闘し、臆病な父親にライバルのビフを倒させようとする場面がここにあたる。この場面がコミカルなため、BTTFは全体としてコメディになっている。

9)ヒーローは報酬を受け取る

主人公は異界に来た目的を果たし、入手すべきものを入手する。
主人公が異界に残した影響が語られ、賞賛される。
この報酬の場面では、主人公が成長を終え「完全体」になる描写がしばしば現れる。「英雄」「半神」として神格化されてゆくことも多い。
BTTFの場合は両親が無事にカップルになるのが「報酬」に当たる。

主人公は日常に帰還する


冒険物語が、心理的にいえば幼少時の冒険と成長(イニシエーション)を再現するものである以上、「帰ってくる」ことが物語の基本になる。
とはいえ、この部分は冒険物語の構造の中でいちばん振れ幅が大きく、描かれ方もさまざまである。たとえばサスペンス系の物語では、9)報酬を非常に軽く描写したあと、間髪いれず10)帰路が始まることが多く、非常に重要視されている。
反面、貴種流離譚の色合いが濃い物語では、しばしば帰還の部分は省かれ、ほとんど描写されないか、主人公は異界にとどまったり、どこへとも知れず去っていったりする。この場合、元の世界との心理的決着をきちんとつけることが必須になり、物語全体の色合いも、「冒険譚」ではなく「英雄譚」に近づく。

帰還が描かれるときは、物語序盤で「もう戻れない」という心理状態を経験させつつ越境させているので、たいていの場合帰るときも簡単ではなく、苦難を伴う脱出や逃亡が語られることになる。
そして最後は冒険により変化(成長)したことが日常の中で描写されて大団円となる、というのが冒険物語の定石である。

ボグラーのハリウッド的物語分析(3)帰還


10)ヒーローは日常に帰る

キャンベルの神話分析では「呪的逃走」といわれる部分。たとえば敵の残党の襲撃だったり、たとえば誰かの残したワナだったり、自爆だったりと、なにかしらの大きなトラブルがあり、主人公は最大の試練に劣らぬほどのピンチに陥りつつ逃げる。
こういう状況が最後に現れるのは、異界と日常の距離の遠さを示す、という理由がある。つまり、日常に戻ったら異界に行くことはできない、ということをはっきり表現するためである。
主人公が大事なものを失いながら帰還するパターンも多い。ルパン三世の場合は多くの場合「お宝」である。古典的SFの場合は、一緒に来るはずだったヒロインだったりする。
BTTFの場合、タイムワープの動力となる落雷の時間に追われ、ぎりぎりでタイムマシンに乗り込む場面がここにあたる。

11)ヒーローの日常は再生し変化する

ヒーローが「冒険」をしたことで、帰ってきた日常が変化しているのが描写される。物語における真の「報酬」のパートともいえる。
BTTFの場合、不仲だった両親の仲がよくなっており、マーティーの日常はずっと幸福になっている。

12)ヒーローの帰還は完了する

いわゆるエンディングの場面。セレモニー的な色合いが強く、続編がここで匂わされることも多い。BTTFでも、ドクが再び現れ、新しい冒険が始まる。

講義のまとめ


◆物語と言われるものの最大派閥である「冒険物語」は、実はたったひとつの決まった基本パターンでできている。

◆それは<越境><冒険><帰還>であり、ハリウッドの方法論では12のパートに分かれる。このパターンを覚えておくことで物語を作ることは非常に簡単になる。

◆人間が作るストーリー自体はパターンがこれほどまでに決まっているのに、作品自体にいろいろなバリエーションが出るのはなぜか?それを考えてみよう。






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