「イメージ」という言葉は奥が深い


イメージ wiki

イメージまたは心的イメージ(しんてきイメージ、英語:Mental image)とは、何かの物体、出来事、または情景などを知覚する経験に極めて似通った経験であるが、 対象となるはずの当の物体、出来事、また情景が感覚において現前していないような経験を言う(McKellar, 1957年、Richardson, 1969年、Finke, 1989年、Thomas, 2003年)。
このような経験の本質や、何がこのような経験を可能としているのか、また、この経験に機能が存在する場合、それらは何なのかは、長年にわたり、 哲学、心理学、認知科学、更に近年は神経科学における研究と議論の主題であった。

●イメージを日本語でいうと「心象(心像)」。心に浮かぶ「像」。この像と言う言葉には、映像のほか、音、匂い、感触など、多様な感覚が含まれる。
また、はっきりした五感とリンクしない、「なんとなくこんな感じ」というものも「像」の中に入る。

●イメージとは、私たちが自分の内的な積み重ねを用いて思い浮かべた「像」。「想像されたもの」「思い浮かべられたもの」のこと。

●私たちは日常生活のなかで、つねにイメージを心のなかに作りだし、また、作り出したイメージを心の中に蓄積してゆく。
そうすることによって、ただ受け取っただけの感覚を私たちは「記憶」に変換し、
記憶することによって新しいイメージ製造の原材料にしてゆく。

イメージとは私たちの意識において、全てを作っている源、すなわち元素のようなものである。イメージなしに私たちが何かを考えることはできない。
高度な論理的思考、たとえば数学の思考も、イメージすることによって行われている。

●私たちは日々の眠りの中で、またぼーっとした時間の中で、自分の中のデータベースからイメージを作り出し改良し(あるいは改悪し) またデータベースに保存しまた取り出し、といったことを、無意識のうちに繰り返している。

●私たちがつねに作り出すイメージの原材料になっているのは、私たちが五感を通じ受け取る世界そのものであり経験そのもの。
それを私たちはイメージすることによりストックして、データベース化して、そのデータベースから抽出し加工することでまた新たなイメージを作る。

なぜ人は目の前のものを写生するのか


●私たちが作品を作るということは、世界にあるものを元ネタにして「イメージ」を作り、それを何らかの形で他人と共有できるものにすること。

●なぜ、人は目の前にある果物や皿をそのまま写生するのだろうか。あるいは、なぜ眼の前の物体を写真に撮り、それを「作品」と称するのだろうか。

●それが、「眼の前にあるものをイメージ化する」作業だからである。これをしばしば私たちは「解釈」と呼ぶ。
果物や皿は、一度イメージされること、つまり人の心を通過することで、人に受け入れられるものになる。
これは私たちが生きている間ずっとやっていることだが、それを意識的に、工夫をこらして行うことで果物や皿のイメージは、イメージとしての価値を持つ。
モノは、イメージ化されることで人に理解できる形になる、といってもいい。

小林古径「三宝柑」

 ☆果実と皿を、「曲線と直線の組み合わせ」としてイメージし直している、すなわち解釈しているから、この絵は独特の美しさと清涼感を持っている。

●そういう「感覚のイメージ化」を社会全体で繰り返し行うことで、複数の人間のあいだで共有化されるイメージができてゆく。それが「文化(カルチャー)」である。

●「文化」(カルチャー)は、作品を作る=イメージ化するときに、そのガイドとなるもの。私たちが社会から受け取る先人たちの表現の積み重ねである。

●この文化(カルチャー)が、私たちの心の中にあるデータベースの目次のような役目をしている。
そして、東浩紀のいう、社会が共有する「見えないデータベース」の中核をなしている。

●逆に、人間は「イメージ」しか認識できないし表現できない、ともいえる。人間にはナマの事物をそのまま捉えることはできず、必ずイメージ化というバイアスがかかる。
私たちが肉眼で外界を見ている、その全ての瞬間に私たちは外界のイメージ化を行っている。
機械的に外の風景を映す写真やビデオ撮影では、肉眼と同じような感覚で外界を捉えることは不可能に近い。
それは、私たちの原点である「眼」がすでにイメージ化前提のものだからである。だからこそ、機械的な撮影で「眼」と同じ体験を作り出すことが至難なのである。

●画家が写生をし、写真家が写真を撮ることには、「なるべくナマの、人間の心を通らない事物を表現したい」という意志が込められていることもあるが、それはそもそも不可能であるといえる。
そういう意志がこもった時点でその作品はナマのモノを写したものではなくなる。

リアリズム写真運動


イメージにはつねに「物語のかけら」が含まれる


●イメージと「物語(ストーリーライン)」の関係は、2つの視点から見ることができる。まず、イメージを主として、そこから物語を見る視点。そして、物語を主としてイメージを見る視点である。

●イメージするとは人間が思考することそのものだが、私たちが何かを考えるとき、私たちはつねに何かを「物語化」しようとする傾向を持っている。

●それは、私たちが物事を「時間経過」とともに経験する生き物だからであり、自分の経験を一種の物語のようなものとして捉える生き物だからである。

●だから、あらゆるイメージには「物語性」がつきまとう。

例:とらやの羊羹と謝罪イメージ

●イメージに必ず付随する「物語性」とは、冒険物語のようにきっちり形があるものであることはほとんどない。「それっぽい」「そんな感じがする」「こういうのに似合う」というような、曖昧なものである。
流行の言葉でいうと「解釈一致」というのは、イメージが持つ物語性が他者と共有されているかどうか、という表現と見ることができる。

●イメージのもつ雑多で曖昧な「物語性」の世界から見ると、冒険物語とは「選びぬかれた物語性のエリート」であるといえる。

イメージは物語の多彩さを生むと同時に、私たちの思考そのものに縛られる


●物語(ストーリーライン)側から見ると、そもそもストーリーを作るときにも私たちは「物語の筋」をイメージすることで作っている。

●イメージとは「物語の三要素のひとつ」というより、「全ての物語の基本元素」である。イメージという水の入ったストーリーラインというコップも水(氷)で出来ている。

●これまで学んできたように、人に喜ばれるような物語のストーリーラインというのは古来から型が決まっていて、自由度は思ったよりはるかに低い。では何が人の作る物語の無限のバリエーションを作っているかというと、 それは物語を構成するイメージの多様さである。

●が、物語は私たちの「成長体験」のシミュレーションである以上、物語の中にある世界はある程度の整合性と辻褄を持っていないといけない。つまりまとまった世界観がないといけない。
そのことが、物語における、本来自由度が高いはずのイメージを均一化するほうに働くことが多い。

●ここまでの言い方でいうと、物語の中のイメージは「見えないデータベース」の影響をものすごく強く受ける。だからこそ、なろう系小説では同じような世界観、同じような世界イメージが繰り返し使われる。
それがコンテンツの作りやすさにつながるが、同時に陳腐化にもつながる。

●だからこそ、物語の中に含まれるイメージの種類と質というのは、作者の個性をあらわすポイントであり、他のコンテンツからひとつ抜け出るための強力な武器となる。

イメージの革命 …… ダダとシュール


●昔、人間が社会の中で持つイメージというのは、現在よりはるかに型にはまっていた。簡単にいうと、「その時その時の社会」にふさわしいイメージしか実質的に許されていなかった。

●その時代、その社会のもつイメージの束縛や限界をもっともわかりやすく示すコンテンツは、美術である。絵を見ることで、その時代の「イメージの限界」がわかる。

●中世ヨーロッパでは、キリスト教に忠実な絵画しか許されていなかった。裸を描くことも、風景だけを描くこともできない。必ず、キリスト教の「主題」「教訓」が必要であった。


ジオット「死せるキリストへの哀悼」

●ルネサンスによって絵画表現の可能性は広がり、とくにオランダでは風俗画の世界が花開いたが、それでもヨーロッパではなんらかの「教訓」に意味づけられない絵画はほぼ描けなかった。


フェルメール「天秤を持つ女」 この絵にも後付的な象徴的意味があるとされている


●古典主義を経て、ロマン主義の台頭により、ようやくヨーロッパ絵画はキリスト教に題材を取らない絵画を描けるようになる。


ドラクロワ「キオス島の虐殺」

●写実主義、そして印象派の出現で、19世紀の後半にようやく西欧絵画は「日常のスナップ」を絵にできるようになった。


ルノワール「舟遊びをする人々の昼食 」


モネ「パラソルを差す女」

●このように、私たちが私たちの日常を絵にすることすら、長いあいだかけて人類がたどり着いた境地であった。
が、たとえば印象派の絵画の中にいる人間たちは、19世紀の近代ヨーロッパという、彼らが信じていた社会の物語そのままの姿をしている。そこにあるのは一貫した物語性を持つ、統御されたイメージ群である。
そしてそこには、「近代市民社会の良識」という枠組みがしっかりあり、そこからはみ出る作品には厳しい目が向けられた。


マネ「オランピア」 1863 パリ市民の憤激を買い絵を傷つけようとする人すら現れた


ティッツィアーノ「ウルビーノのヴィーナス」 1538 もとネタとされこちらは名作扱いであった

●こういった、近代社会においても厳然とあったイメージ=思考の縛りを越え、イメージそのものの自由度と、社会という物語からの解放を目指した運動。それが「ダダイズム」であり「シュールレアリスム」である。

ダダ ……虚無に帰る運動


ダダイスムとは、1910年代半ばに起こった芸術思想・芸術運動のことである。
ダダイズム、あるいは単にダダとも呼ばれる。
第一次世界大戦に対する抵抗やそれによってもたらされた虚無を根底に持っており、既成の秩序や常識に対する、否定、攻撃、破壊といった思想を大きな特徴とする。ダダイスムに属する芸術家たちをダダイストとよぶ。


●ダダとは、19世紀に完成した「近代的世界観」への徹底的な反抗だった。

●そこにあったのは、「条理」や「わかりやすい物語」、「趣味のよさ」「上品さ」への激烈な拒否感。なぜならそういう世界観が、悲惨な第一次世界大戦を生んだから。

ラウル・ハウスマンのコラージュ


●ダダという言葉はトリスタン・ツァラという詩人/作家が考えたが、その言葉に意味はない。「無意味」をめざし、意味あるものを消そうとする。
だから、作品という完成品自体を否定することにもなる。ダダイズムにいまに残る代表的作品が少ないのはそういうわけ。

●現在、ダダの代表的美術作品とされているのはマルセル・デュシャンの作品だが、その半分以上は「レディ・メイド」。

デュシャン「泉」


●ダダは「近代ヨーロッパの考え方そのもの」を否定しようとして、破片しか散らばっていないような虚無の空間をめざした。
逆に、そこまでやらないと、強固に作られた近代ヨーロッパの文脈は壊せなかった。

●ダダの価値観の中では、言葉は完全に脈絡を失い、無意味に、デタラメにばらまかれていればいるほどいい。ダダは「物語」自体を拒否し、最後には「イメージ」の「物語性」そのものまで拒否する運動といえる。

 ダダは未来に反対する。ダダは死んだ。ダダは白痴だ。ダダ万歳。ダダは文学の流派にあらず、叫べ。(トリスタン・ツァラ)

 感覚を錯乱させよーー想念を錯乱させよ。
 そうすれば、風紀混乱の、瓦解の、壊滅の、衝撃の、ありとあらゆる熱帯性の豪雨が、落雷から身を守る確実な行為となり、公益になることうけあいだ。(トリスタン・ツァラ)

●意識的に錯乱状態を生みだしわざと狂人になろうとする態度は、シュルレアリスムを経て、アメリカのビートニク芸術につながってゆく。

●だがどこまでも破壊的で否定的な運動は、当然長くは続かなかった。ダダがまとまって活動したのはわずか数年間。

マン・レイ「贈り物」


カジミール・マレーヴィチ「黒の正方形」


ダダと連動しつつ独自の抽象芸術を生もうとした「ロシア・アヴァンギャルド」の一人。究極の抽象をもとめてこういった境地に辿り着いたが、スターリンの台頭により具象絵画しか描けなくなった作家。

ジョルジュ・デ・キリコ「街角の神秘と憂愁」


ダダイズムとシュルレアリスムをつなぐ最重要作家。


デュシャン《1.水の落下、2.照明用ガス、が与えられたとせよ》 通称「遺作」
紹介ページリンク
デュシャンが後半生を捧げた(ということになっている)最後の作品。最後まで悪趣味を貫いた。

シュルレアリスムは「イメージが既成の物語にとらわれない」ことを目指す


シュルレアリスムwiki

シュルレアリスムは、フランスの詩人アンドレ・ブルトンが提唱した思想活動。
一般的には芸術の形態、主張の一つとして理解されている。日本語で超現実主義と訳されている。
ブルトンが「シュールレアリズム宣言」というテキストを発表した1924年が、シュルレアリスム始まりの年とされている。

●ダダは何もかもを壊そうとしたが、それでは完全な無意味と無秩序が生まれるだけ。行き止まり。

●シュルレアリスムは「近代ヨーロッパの世界観」だけを壊しながら、新しい文脈でものを作ろうとした。既存の「物語」は否定しながら「イメージの物語性」は拒否せず、ある種の新しい物語性を作ろうとした運動といえる。

●その「新しい文脈」として彼らが発見したのが、フロイトの精神分析。そこでは「現実の描写」が否定され、「無意識」や「夢」を言葉や絵にする「想像力」だけが芸術を作るとされた。

私は、夢と現実という、外見はいかにもあいいれない二つの状態が、一種の絶対的現実、いってよければ一種の超現実のなかへと、いつか将来、解消されてゆくことを信じている。それの征服こそは私のめざすところだ。

きっぱりいいきろう、不可思議はつねに美しい、どのような不可思議も美しい、それどころか不可思議のほかに美しいものはない。

シュルレアリスム。男性名詞。心の純粋な自動現象であり、それにもとづいて口述、記述、その他あらゆる方法を用いつつ、思考の実際上の働きを表現しようとくわだてる。理性によって行使されるどんな統制もなく、美学上ないし道徳上のどんな気づかいからもはなれた思考の書きとり。(以上 アンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言』)

創造の源としての「無意識」「夢」「偶然」


●シュールレアリストたちは、フロイトのいう「無意識」「夢」の領域にアクセスすることで、近代的な文脈から離れながら、意味のある作品が生めると信じた。
ダダが与えてくれた「デタラメの大切さ」を保存したまま、なおかつそこに意味が加えられると信じた。
そして、そのための手段として「偶然」を使うことをさかんに行った。

●自動筆記、フロッタージュ(木の表面などに紙を当ててこすり、偶然の模様を作る手法)、デカルコマニー(インクを置いた紙を二枚合わせることで偶然の模様を作る手法)など、偶然によって元ネタを作り、それを加工することで自分の中の意外なイメージを引き出す手法を好んで用いた。

マックス・エルンスト「沈黙の目」


ジョアン・ミロ「アルルカンのカーニバル」



・また、デペイズマン(意外な環境に置くこと、という意味、ルネ・マグリットなどの作品がそれにあたる)、コラージュ(別の作品を切り抜き貼り合わせる手法)などで、偶然性は含まないが通常の文脈を破壊してモノを配置する手法も好んで用いた。 これはダダイズムから受け継いだ手法であるが、シュールレアリストは「夢」の領域に接近しようとする試みとしてこれを使った。 俗語としての「シュール」のもとになったのは、デペイズマンの技法ではないかと考えられる。

ルネ・マグリット「サン・オブ・マン」


サルバトール・ダリ「茹でた隠元豆のある柔らかい構造」


シュルレアリスムにおける「言葉」


●シュルレアリスムの首領は詩人アンドレ・ブルトンであり、この運動を主導した者の多くは詩人だった。

●詩におけるシュルレアリスムはもっぱら「自動筆記」を用いた意外な言葉の組み合わせを主とした。

大地は私の足の下にくりひろげられる新聞にすぎない。ときたま写真が目にはいり、それはいくらか興味のあるものだし、花々はそろってその匂いを、印刷インクのいい匂いを立ちのぼらせている。若いころにきいた話では、熱いパンは病人にはがまんのならぬものだそうだが、それでもくりかえしいおう、花々は印刷インクの匂いをたてていると。木々は木々で、多少ともおもしろいところのある三面記事でしかなく、こちらでは放火犯、あちらでは脱線事故。さて動物たちはといえば、もうずっと以前に、人間たちとの交渉から身をひいてしまった。女たちは男たちとのあいだに、もはや逸話的な関係しか保たなくなっている。それはちょうど商店のショーウィンドーに似た関係で、朝はやくから陳列係が通りに出て、リボンのうねらせかたや、すべり金具や、客よせマヌカンのウィンクなどの効果をしらべているようなものだ。
私が文字どおりくまなく見てまわるこの新聞のいちばん大きな部分は、引っこしや別荘ずまいの記事にあてられており、その見出しも第一面上段のいい場所を占めている。なかでも目をひくのは、私が明日キプロスへ行くという記事である。(ブルトン「溶ける魚」)

●ブルトンの「ナジャ」は、半ば発狂した女性の謎めいた言動にブルトンがひたすら魅了され引き回される物語。要するに「破滅的なぐらいわけのわからない刺激」を何より愛する、という、20世紀はじめのフランス青年の精神の物語。
→これはそのまま、後年の映画におけるヌーベルバーグ(ゴダール「気ちがいピエロ」など)につながってゆく。

「遊びよ、なにかいってみて。目をとじて、なにかいうの。なんでもいいわ。数字でも、人の名前でも。こんなふうに(と目をとじる)。ふたつ、何がふたつ? 女がふたり。どんな格好? 黒い服。どこにいる? 公園のなか? それから、その女たちは何してる? さあやってみようよ、とても簡単なんだから。そうして遊びたくないの? それじゃいいわ。あたしね、ひとりぼっちのとき、こんなふうに自分と話をするの。どんな話でもしちゃうの。無駄話とはかぎらないわ。あたしって、まるっきりこんなふうにして生きているの」(ブルトン「ナジャ」より)

松岡正剛による「ナジャ」解説

●ブルトンを首領とする文学上のシュルレアリスムは、必死に従来の「物語」を拒否しながらも、どこまでもフランス的なロマンチシズム、フランス的な感覚の上にあったといえる。
言葉とはグラフィックよりもはるかにそれ自体で「意味」を持つ。意味を持つということは、それだけ強い物語性を持つということである。
シュールレアリズムの詩人たちは、結局のところ、自分たちが生まれ育った風土、文化、見えないデータベースから脱出できなかった。それはある意味当然のことであった。

●「夢」「無意識」を、データベースとしてまた見えない神としてあまりにも無条件で信じたために、工夫するということを否定しがちになっていった。
そして、彼らが信じた「夢のリアリズム」は、リアリズム写真運動と同様、じつは人間の都合によって調整されたものだった。
絵画ではその矛盾は絵としてのインパクトでカバーできたが、言葉という物語そのものを内包する素材を使うと、とたんにその矛盾があらわになった。

妖精の距離(抄)/瀧口修造

          
   うつくしい歯は樹がくれに歌った
   形のいい耳は雲間にあった
   玉虫色の爪は水にまじった

   脱ぎすてた小石
   すべてが足跡のように
   そよ風さえ
   傾いた椅子の中に失われた

   麦畑の中の扉の発狂
   空気のラビリンス
   そこには一枚のカードもない
   そこには一つのコップもない
   欲望の楽器のように
   ひとすじの奇妙な線で貫かれていた

シュルレアリスムの意義


●社会全体の持つ物語に、どうしても強く縛られてしまう「イメージ」の領域を、より自由に解き放とうとした運動がシュールレアリスム。

●そこには2つの面がある。ひとつは、先行したダダイズムを受け継いだ面。すなわち、近代ヨーロッパ社会の価値観、モラル、常識を否定し、それと反する野蛮でインモラルで破壊的なものを積極的に肯定していく思想。
それは、反倫理的であるために無価値と思われていた、さまざまな先行作品の再発見につながった。その代表例が、ロートレアモン「マルドロールの歌」である。

ロートレアモン 「マルドロールの歌」

●もうひとつの面は、社会的にわかりやすい物語ではなく、「夢」「無意識」といった領域を頼りに新しい物語性(意味)を探ろうとした試み。
夢や無意識を扱うところから、象徴、呪術、といった領域に発展していくことで、イメージと物語性(意味)の関係をより自由にした。20世紀抽象芸術の基礎になった運動であった。


パウル・クレー「古代の調和」

ダダイズムとシュールレアリスムを経ることで、私たちは、「コンテンツは意味(物語性)がわかりやすくなくていい」「殺伐としてたりグロテスクだったり非倫理的だったり常識はずれだったりしててもいい」という考えかたを普通にできるようになった。

アメリカの2つの描き方 …… ノーマン・ロックエルとエドワード・ホッパー




●現在「シュール」「意味がわかるようでわからん」と言われながらも受容されているコンテンツのほとんどは、シュールレアリスムを経ることで可能になったものといえる。
Group_Inou+AC部 「Therapy」


「Orientation」

シュルレアリスムと笑い


マルクス兄弟

荒唐無稽かつ破壊的な芸で、 ブルトン、ダリなどのシュールレアリストに愛され、その後の20世紀文学にも影響を与えた。 たとえばサミュエル・ベケット(「ゴドーを待ちながら」)の作品中には、あきらかにマルクス兄弟の影響を受けたシークエンス(帽子交換など)が見られる。
また、戦後のコメディに決定的な変革をもたらしたモンティ・パイソンも、彼らの直接の影響を強く受けている。

我輩はカモである」より スパイ登場


「我輩はカモである」より レモネード売りとのケンカ


「我輩はカモである」より 鏡のシークエンス

◆モンティ・パイソン

社会体制に対する皮肉や悪意を剥き出しにしながら、世界観全体で笑わせに来る新しいタイプのコメディを確立した。



●笑いが生まれる根源にあるのは、社会が生む「筋立て」にたいして(制作者と登場人物のどちらかが)逸脱してみせるという行為。
シュルレアリスムはこういったコメディが世に認められてゆく後押しをした。





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