90年代ロック業界の変化 …… 「ロキノン系」をめぐって


「ロキノン系」とは、ロック雑誌「ROCKIN'ON」とその系列誌にインタビューやレビューが載るようなミュージシャンの音楽、というぐらいの意味である。 詳しい定義や事情については、ニコニコ大百科の解説がもっともよくまとまっている。

ニコニコ大百科:ロキノン

1980年代、イギリスやアメリカにおいてはインディーズのロックバンドたちが独特の音楽を作りつつあった。
70年代後半のパンク・ロックと、レッド・ツェッペリンなどのシンプルで強度の高い古典的ロック(ハードロック)を基礎としながらそれにそれぞれの味付けを加えていくもので、 シンプルな楽曲構造、激しいリズムとシャウト中心の歌唱、そしてシリアスな本音を歌う歌詞という特徴を持っていた(ハードコアと呼ばれる)。
高価な楽器やミックス機器、極端な歌唱法を要求される当時のメジャーな音楽(ヘヴィーメタル、ポップ・ロック)とは違い、ライブハウスで少人数のバンドで演奏できる音楽である。
パンクロック、ガレージロックなど、生まれた場所や環境によって細かく分かれているが、総じてこういったロックをオルタナティブ(もうひとつの、という意味)・ロックと呼ぶことが多い。
また、これらのロックの精神的姿勢である「人気より表現性を優先する志向」を指して「オルタナティブ」と呼ぶこともある。

そうした活動をしていたうちの一組であるニルヴァーナが、1990年に「Smells Like Teen Spirit」の大ヒットとともにメジャーシーンに登場すると、一夜にしてアメリカの音楽シーンを塗り替えてしまったといわれる。
それまでアメリカンロックの主流だったヘヴィーメタル系にかわり、「グランジ(薄汚れた、という意味)」と呼ばれる彼らの音楽がアメリカのトレンドとなった。 オルタナティブなロックに対するニーズが高まり、多くのインディーズバンドが有名になっていく。
この影響は日本にもすぐさま現れ、インディーズで活動するバンドが一般的なロックファンの間でも知られるようになった。 「インディーズ→ロックフェスなどライブで活躍→メジャーレーベルと契約」というコースをたどるバンドが増え、その間にテレビなどのメジャーな宣伝媒体が絡まないケースが増えたのである。
こういったバンドの広報窓口の役割をしていたのがROCKIN'ONであったため、「知る人ぞ知る」というタイプのロックミュージシャンは「ロキノン系」と呼ばれることが多くなっていった。 当時世を席巻していた小室系ダンスミュージックやアイドル系音楽、B'Zなどの正統派メジャーバンドへのカウンター的存在としてひとかたまりで扱われていた、という言い方もできる。

現在、「サブカルチャー(サブカル)」といえば漫画・アニメ・ゲームのオタク的な文化を指す意味あいが強まっているが、 90年代からゼロ年代において、サブカルといえばロキノン系のようなカルチャーを指すことが多かった。
下北沢のライブハウスやロックフェスに通っていたようないわゆる「ロキノンおたく」「ロキノン女子」は、現在ではしばしばうざい存在として辛辣に語られる(「サブカルくそ女」)。 たしかに彼らには気取った部分や選民意識を持っている部分があったが、戦後社会の崩壊という時代の変化を、カルチャーとして最先端で受け止めていた人たちでもあった。

先駆者 …… 岡崎京子


漫画家、岡崎京子は1983年に「漫画ブリッコ」(大塚英志が編集長をつとめていた成人向け漫画雑誌)でデビュー。 バブルに突入する時勢のなか、豊かでありながら空虚な少女たちの姿をクールに描き続け、サブカル系の女子や玄人筋の評論家から絶大な評価を得るようになっていった。

彼女の漫画はおしゃれでさらっとした絵柄ながら、描かれるドラマは徹底的にシニカルで破滅的である。
たとえば短編「チワワちゃん」では、殺人事件でバラバラにされた少女の素性を誰も知らなかったことが淡々と描かれる。




また代表作「リバーズ・エッジ」では、河原に放置された白骨死体をめぐって、闇を抱えた少年少女たちの人間関係が壊れていく様子が描かれる。




岡崎京子の漫画の中の少女たちは、その多くが家族問題を抱え、人に知られないままひそかに歪んでいる。 そして退屈と鬱屈を紛らわすかのように自分だけの執着にこだわりつづけ、最後には壊れて苦い結末を迎える。
漫画の中でまとまったストレートなメッセージはほぼ語られず、作品から浮かび上がってくるのは言葉に出来ない居心地の悪さであり、それなのに絵はどこまでも淡白で非常に読みやすい。

岡崎作品の秘密は、物語の深刻さに対して語り口があまりにもフラットなところにある。
読者は読み始めるとすぐに、読者がこの作品の世界にたいしなにかを願ったり期待したりすることは無理なのだと気付かされる。 作者が描き読者が読む視点が、登場人物から遠く離れているからである。
カット割り(コマ割り)されていて視点も画角も次々に変わるのに、全体を通してみるとずっと長回しで撮られている映像のようである。 私たちは岡崎京子の漫画から、人々の肌の匂いも息遣いも間近で感じることはない。たとえベッドシーンを描いていても、必ず一定以上の距離がある。

この距離感があればこそ、岡崎京子の作品はその物語の複雑さと深刻さに見合わないぐらい短くあっさりしていて、私たちは短時間で走り抜けるように読むことができる。 そして距離感があるから、読み終えたあとの苦い感覚が不快ではなく胸に残る。これが、どうしても劇的な演出を入れなくてはならない映画との決定的な違いである。

1980年代の圧倒的に浮かれた雰囲気の中で、豊かなのに壊れていく人間たちを静かに描き続けた、時流のはるかに先を行った作家である。 彼女の中には80年代らしい都会的なデザインセンスと、日本の戦後がすでに家族を中心に崩壊しつつあることを見抜くシビアで醒めきった眼が同居している。
90年代のバブル崩壊を経て、岡崎京子はある種の「預言者」としてカリスマ性を帯びるようになっていく。
が、大作を続けざまに完成させ新たな成熟に向かおうとしていた1996年、交通事故で生死の淵をさまようことになる。2020年現在、リハビリにより回復しつつあると伝えられるものの、いまだに漫画家としては復活していない。


世紀末を告げる音楽 ……THEE MICHELLE GUN ELEPHANT

「戦後社会の崩壊」を、倫理的な面から歌ったのがMr.Childrenだとしたら、それをイメージの面から歌ったのがミッシェルガンエレファント(以下TMGE)であった。
5年にも及ぶ長いインディーズ時代を経て1996年、どん底の1995年の翌年にメジャーシーンに登場したという歴史も、その音も歌詞も、全てが「オルタナティブなロックの先頭ランナー」というにふさわしい存在だった。

少し前のブルーハーツと比べたときに決定的に違うのは、TMGEの歌詞には「倫理」が出てこないこと。かわりに出てくるのは「世界の崩壊」という救いのないテーマである。
その好例が、代表曲「世界の終わり」であった。



世界の終わり 歌詞

「世界の終わり」は、世界の終わりを歌う歌ではない。世界の終わりの「予兆」を感じて待ち望む者と、それを信じなかった者の歌である。
この予兆とはすなわち、戦後社会と近代という時代の崩壊の音だった、といえるだろう。

ちょっとゆるやかに そしてやわらかに
かなり確実に 違ってゆくだろう
崩れてゆくのが わかってたんだろ
なにか変だなと 思ってたんだろ

「世界の終わり」のなかで、終末を待ち望む「君」が言っていると思われるこの言葉には、岡崎京子がいちはやく見抜いてみせた戦後社会の内部崩壊の結果が、抽象的に、しかし直感的に捉えられている。
その歪みと崩壊が、「君」を狂人と思っていた歌い手にも理解できたとき、終末はもう目の前に迫っているのである。

TMGEの数多くの曲の歌詞はどれも抽象的で曖昧だが、共通しているのは救いの言葉や救いの要素がどこにもないことである。
その歌の世界には激しいリズムと興奮はあるが、指針も希望もない。同じ頃のJPOPのちょうど対極に位置する音楽である。

90年代の終わり、いまでは考えられないほどひろく根深く「20世紀とともに世界は終わる」というイメージは流布していた。TMGEの歌が直接的にこのミレニアムの終末を指している部分は意外と少ないが、 救いがないゆえに終末と滅亡を求めてやまないこの時期特有のメンタリティは、彼らの歌詞に前提として織り込まれている。
そういった意味でもピンポイントで時代の負の部分を映した音楽であり、21世紀の到来とともに解散したのもある意味必然のなりゆきだったのかもしれない。


時代の夕暮れの「気分」 ……Fishmans

TMGEとは違った形で、20世紀末の日本の「気分」を表現したバンドがFishmansである。



baby blue 歌詞

このBaby Blueの歌詞には具体的なドラマはほぼ描かれていない。歌詞の意味を細かく追ってもさして意味はない。
ここにあるのは、遠くに連れていかれるような、心細いと同時に微熱をおびているような「気分」である。
そしてこの歌の「気分」こそ、1990年代の終わり、世紀末を迎える日本人たちがなんとなく感じていた、時代の夕暮れの「気分」であった。
私たちはこの音楽が伝えてくるような「気分」、だんだん風景が暗がりに沈んでいくのを見ているような穏やかで空虚でものさびしい空気のなかで20世紀の終わりを生きていた。

ゆるいダブサウンドと曖昧模糊とした歌詞が、ある時代の空気感のようなものを完全に表現できるというのはある種奇跡的なことであり、Fishmansがいまも伝説のバンドでありつづけているのはそこに理由がある。
Fishmansフォロワーとなったミュージシャンはたくさんいるが、誰ひとり、この「気分」を再現できた者はいない。


オルタナティブという生き方 …… The Pillows


オルタナティブ・ロックの台頭は日本の多くのインディーズバンドをプロのミュージシャンにしていった。 が、それは反面、メジャーレーベルに所属してはいるが売れているわけでもない、という存在を多く作り出すことになった。

彼らはさしてお金を儲けるでもなく、アルバイトなどをしながらコツコツと音楽活動を続ける、いわば等身大のミュージシャンたちであり、 その多くは結局契約を切られてインディーズに戻ったり他レーベルに移籍したりしている。
1988年~1992年ぐらい、つまりバブルの末期に結成されたバンドはほとんどがそのパターンである。 その中でもたとえば粘り強くメジャーにこだわり音楽以外の活動もすることでことでヒット曲が生まれたエレファントカシマシのパターン、 意識的にインディーズにこだわり露出がないのにチケットが秒で売り切れたHi-Standardのパターンもあるが、多くのバンドは決定的なヒット曲もなく、知名度の高いインディーズとして活動を続けている。

日本におけるエモコア(エモーショナル・コア)の先駆といわれ後続に大きな影響を与えたEastern Youthもそうで、ライブハウスでの絶大な人気を支えに地道な活動を数十年続けている。
彼らはだからこそ、時代の流れを敏感に感じそれを音楽に(とくに歌詞に)反映させることができる。
そうした「メジャーとインディーズの間にいるバンド」の中でも玄人好みな存在がthe pillowsである。25年以上活動を続けているが、ロックファン以外からの知名度はびっくりするほど低い。
1995年頃、彼らはメジャーにこだわる姿勢を捨てて「オルタナティブ」に生きることを決意したからである。以来、音楽もアメリカのオルタナティブ・ロックへと近づいていった。

ハイブリッドレインボウ(1997)


<歌詞>

ほとんど沈んでるみたいな無人島
地球儀にのってない 名前もない
昨日は近くまで 希望の船が来たけど
僕らを迎えに来たんじゃない

太陽に見惚れて少しこげた
プリズムをはさんで
手を振ったけど

Can you feel?
Can you feel that hybrid rainbow?
昨日まで 選ばれなかった僕らでも
明日を待ってる

ほとんど しぼんでる僕らの飛行船
地面をスレスレに浮かんでる
呼び方もとまどう色の姿
鳥達に容赦なくつつかれるだろう

Can you feel?
Can you feel that hybrid rainbow?
きっと まだ限界なんて
こんなもんじゃない
こんなんじゃない

Can you feel?
Can you feel that hybrid rainbow?
ここは途中なんだって信じたい

I can feel
I can feel that hybrid rainbow
昨日まで 選ばれなかった僕らでも
明日を持ってる

「崩壊した戦後」の跡に乗って助けを待つ歌であり、氷河期世代(ロストジェネレーション)と呼ばれる若者たちが望みのない就活でさまよっていた時代の光景を、 観念的な言葉をほぼ使わずにイメージだけを用いて歌っている。

ここには大げさな嘆きも哀願も拳を振り上げる仕草もない。歌詞を貫く視線は非常にクールで距離感がある。それは岡崎京子の視点と相通じるものである。
しかしTMGEが崩壊の風景だけを言葉にしたのとは違い、ここには崩壊後をも生きていかなくてはいけない、という粘り腰がある。


「強い女」の作り方 …… 椎名林檎


1998年にデビューした椎名林檎は、「強い女」の新しい形を提示したミュージシャンとして大きな意味を持っている。

彼女の作品の最大の特徴は、「フィクショナルであること」にある。
古い音楽や映像に親しんで育ったという彼女の表現の中には、60年代~70年代のアングラ系カルチャーの残像が色濃く残っている。 フィクションを仕立て、その中で演劇的に振る舞うことで作品に独特の距離感を生む。



<歌詞>

蝉の声を聞く度に 目に浮かぶ九十九里浜
皺々の祖母の手を離れ 独りで訪れた歓楽街

ママは此処の女王様 生き写しの様なあたし
誰しもが手を伸べて 子供ながらに魅せられた歓楽街

十五になったあたしを 置いて女王は消えた
毎週金曜日に来ていた男と暮らすのだろう

「一度栄えし者でも必ずや衰えゆく」
その意味を知る時を迎え足を踏み入れたは歓楽街

消えて行った女を憎めど夏は今
女王と云う肩書きを誇らしげに掲げる

女に成ったあたしが売るのは自分だけで
同情を欲したときに全てを失うだろう

JR新宿駅の東口を出たら
其処はあたしの庭 大遊戯場歌舞伎町

今夜からは此の町で娘のあたしが女王

デビュー二作目の「歌舞伎町の女王」を書いたとき、まだ一度も歌舞伎町に行ったことがなかったというのは有名な逸話。
恐山で幼少期を過ごしてなどおらず母親と死に別れてもいなかった寺山修司によく似ている。ほらや嘘を使いこなしフィクショナルであることをためらわない。
そして、語り手である自分自身をつねに前面に立たせようとするところもよく似ている。

それは唐十郎や寺山修司の70年代演劇と共通する身振りなのだが、「歌舞伎町の女王」の表現はあきらかに70年代のものとは異なっている。
この女王母娘の濃い物語はわずか3分たらずで語り尽くされている。母に対する視線、母に似ている自分に対する視線は透徹していてシビアであり、感情表現は可能な限り削ぎ落とされている。 また、過去を語る歌でありながら過去形が少なく、体言止めなどで処理されていることにも注目するべきである。

ここで語られる娘にも歌っている椎名林檎自身にも、70年代カルチャーが持っていた、社会から逃避し下降していこうとする弱さや嘆きやロマンはどこにもない。演劇的でありながら夢想的な甘い部分がない。
だからこの曲は70年代にはありえなかった凝縮された強度を持ち、それゆえにある種の「強さ」を聴くものに印象づける。
リアルなものだけを見て、甘い夢想には身を任せず甘い救いにもすがらない。それが椎名林檎が作り出した、新しい「強さ」の表現であった。 以降、どんなラブソングを歌っていようが彼女は「強い女」のイメージをまとい続けることになる。そのイメージは、不安定きわまりないゼロ年代の風景の中ではひときわ鮮やかで、多くのリスナーをひきつけていった。

ゼロ年代の「エモ」


「エモい」という言葉がメディアに大きく取り上げられたのは2016年の新語大賞で2位になってからだが、そのはるか前からエモという言葉は使われていた。
もともとは90年代のオルタナティブ・ロックから派生した「エモーショナル・ハードコア」が語源だと言われる。疾走するようなリズムの中に意外なほどメロディアスなコード進行が乗り、そこに抽象的で感情的な歌詞が乗るスタイルのロックである。



が、「エモ」という表現にはもちろんはっきりした定義はない。自然発生的に使われ、その対象も用法も多様である。
表現や出来事を受け取る者が、エモーショナルなものを感じたなら「エモい」と言うことができるし、何をエモとして受け取るかは人それぞれである。

それを前提としたうえで、ミレニアムの「終末」の時期を過ぎてからのロックや漫画には、ゼロ年代ならではの「エモ」の表現があり、それは現在まで様々な意味で私たちに影響を与えている。
ゼロ年代のエモい表現の特徴をまとめてみる。

・言葉の意味、とくに決り文句や説明に頼ろうとしない。しばしば言葉の表面的な意味は曖昧だったり匂わせるだけだったりする。

・登場人物たちは、あからさまにハッピーでもないがあからさまに絶望してもいない。が、必ず傷や迷いを持っていて、それを大げさに表出することなく抱えている。

・作品はくどい表現や長尺化をできるかぎり避け、人の内面やこだわりに密着しすぎないストイックな手法を持つ。対象にある程度距離を置き、突き放した視線で表現すべきものをさらりと表現してさっさと終わる。

・作品世界は基本的に日本の日常であり、「いま、このとき」である。過去を振り返るのではなく、一過性の「いま」を歌うというのがゼロ年代のエモの最大の特徴である。だから、作品中の言葉で過去形はごくわずかしか使われない。また、作品中には必ず「過ぎていく時間」「取り返しのつかない時間」という要素が含まれている。

コンパクトでシンプルな作品の作り方、語るべきものを半分ほどしか語らずニュアンスだけが残る言葉の使い方、そして対象にたいする少し遠くてクールな視線が、ゼロ年代の「エモ」の特徴といえる。
こうした要素をまとめてみると、それは「現代詩」の世界に近い。戦後の日本の詩が、政治に接近しすぎたり高度化しすぎたりして失った「詩としての機能」を、90年代~ゼロ年代のサブカル作品はいくらか果たしてきたと言えるかもしれない。


エイリアンズ 歌詞

キリンジの「エイリアンズ」はその代表的な例だといえる。
「公団の屋根の上」という言葉からわかるように、ここに歌われているのは日本の都市郊外、公団団地のある町である。他のどこでもない、歌にするには平凡すぎるほどの日本の日常である。
その日常に溶け込めない自分たちは、誰もいない深夜の町を異星人のように感じながら歩いている。2人なら魔法がかかる、かけてみせる、と歌い手はいうが、その具体的な方法は「キス」しか提示されない。

暗いニュースが
日の出とともに町に降る前に

一方「暗いニュース」の予感はたしかに到来していて、日常が崩壊するきっかけが顔を覗かせている。
しっとりした甘いラブソングのように見えながら、やはりここでもありきたりな希望はすべて断ち切られている。そして全てが、柔らかく曖昧で詩的なイメージにくるまれて歌われる。
日常を歌いながら全く甘さがなく冷たく澄んでいる、こういった世界がゼロ年代の「エモ」の形であった。

もう一曲、ゼロ年代の典型的な「エモいロック」として、フジファブリックの「若者のすべて」(2007)を挙げておきたい。



<歌詞>

真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた
それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている

夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな

ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

世界の約束を知って それなりになって また戻って

街灯の明かりがまた 一つ点いて 帰りを急ぐよ
途切れた夢の続きをとり戻したくなって

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな

ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

すりむいたまま 僕はそっと歩き出して

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな

ないかな ないよな なんてね 思ってた
まいったな まいったな 話すことに迷うな

最後の最後の花火が終わったら
僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ

小走りの活き活きしたリズムを持ちつつ叙情的でノスタルジックであり、歌詞は日常的な言葉を主としつつ曖昧で抽象的である。
その中で、時間が取り戻せないことと、「変わる」ことへの期待と寂寥が語られている。

漫画でいうならば、たとえば浅野いにお「ソラニン」(2005)が挙げられる。売れないバンドをやっている若者とその恋人の物語で、内容はインディーズバブルのバンドの現実そのままを描写したものだった。





連載中にASIAN KUNG-FU GENERATIONとタイアップし、作者が作詞した曲を実際に演奏し漫画中にも登場させるという試みをしている。その歌詞は、ゼロ年代の救いのない心象を凝縮したものだった。

<歌詞>

思い違いは空のかなた
さよならだけの人生か
ほんの少しの未来は見えたのに
さよならなんだ

昔 住んでた小さな部屋は
今は他人が住んでんだ
君に言われた ひどい言葉も
無駄な気がした毎日も

あの時こうしてれば あの日に戻れれば
あの頃の僕にはもう 戻れないよ

たとえばゆるい幸せがだらっと続いたとする
きっと悪い種が芽を出して
もう さよならなんだ

寒い冬の冷えた缶コーヒーと
虹色の長いマフラーと
小走りで路地裏を抜けて
思い出してみる

たとえばゆるい幸せがだらっと続いたとする
きっと悪い種が芽を出して
もう さよならなんだ

さよなら それもいいさ
どこかで元気でやれよ
僕もどーにかやるさ
そうするよ

「物語」のタガが外れるとき …… ゼロ年代サブカル系漫画の世界


90年代の後半から、漫画においても90年代ロックに起きたことと似たような状況が生まれた。
80年代までならまず商業ベースに乗らないだろうというような漫画が、青年誌などに載りはじめカルト的な人気を得はじめたのである。 極端な世界観を持ち様々な仕掛けを持つ作品が、掌編でなく本格的な作品としていくつも現れた。
なかでも、ハッピーエンドにならないことがあらかじめわかっているような作品が普通に読まれるようになった。

ヨコハマ買い出し紀行 芦奈野ひとし (1994~2006)

月刊アフタヌーンに長期連載された、ゼロ年代サブカル系漫画の先駆者というべき作品のひとつ。 滅びにひんし半分水没した未来日本で、アンドロイドの女性「アルファ」が喫茶店を経営しつつのんびり日常を送ったり旅をしたりする物語。
激しいことは何も起こらず清涼感に満ちた雰囲気の作品だが、語られる世界にもアルファにもアルファが出会う人々にも未来はなく、少しずつ周囲にあるものが減っていく寂寥感が漂っている。



ドロヘドロ 林田球 (2003~)





魔法使いに記憶を奪われ顔をトカゲに変えられてしまった男の探求譚。 マジカルパンクな世界観とグロテスクでありながら清潔感と呑気さをあわせもつ絵柄。それまで一部の創作同人誌などでしか見られなかったタイプの漫画が長期連載し熱烈なファンを持った。

闇金ウシジマくん 真鍋昌平 (2004~2019)

 

人気が出過ぎたのでサブカルの枠に入れるのはためらわれるが、これも昭和ではまず商業ベースでは許されなかった漫画。 人がちょっとしたことで「踏み外す」ことの恐ろしさと、救いのなさをこれほど徹底的にリアルに描いた漫画はそれまでなかった。
えげつない内容に反して絵には静謐感が漂っているのがこの漫画の最大の美点である。
叙情的な漫画を思わせるような風景描写や人の横顔に、金と利権のことしか語らない言葉が添えられているのがなんともいえない味を醸し出している。

ぼくらの 鬼頭莫宏 (2004~2009)



ゼロ年代を代表するSF漫画のひとつといわれる。謎のロボット「ジアース」に乗って戦う契約をした15人の少年少女たちの戦いを、ひとりひとりに焦点をあてながら描く連作漫画である。
すべてがネタバレにつながるので詳しくはいえないが、彼らを待つ運命は過酷で理不尽であり、最強の鬱漫画と呼ばれることもある。
ウシジマくん同様、絵柄は凍りついたように静謐で控えめであり、物語世界にたいして絶妙な距離感を作っている。

strawberry shortcakes 魚喃キリコ (2002)



職業も環境も違う4人の女性の生活事情をリアルに描く。岡崎京子の影響を受けた女流漫画家のひとりで、やはり絵は余白が多くシンプルでスタティックである。

ゼロ年代サブカルのオシャレ化と変質


雑貨店と書店を兼ねる独自の作りのチェーン店「ヴィレッジヴァンガード」は、1986年に名古屋で一号店を開店。 以降、意識的にサブカル関連の商品を置くようになってじょじょに店舗数を増やし、2003年には上場を果たす。
このヴィレッジヴァンガード(ヴィレヴァン)の知名度が上がっていくのと並行するように、ゼロ年代サブカルのフォロワーは少しずつ変質していく。 つまり、サブカル系のコンテンツやファッションを、「モテる」「マウントが取れる」ツールとして扱いはじめたのである。

ここまで見てきたように、90年代~ゼロ年代のサブカル系コンテンツは、戦後が崩壊したあとの世界の不安定さと残酷さをさまざまな手法で表現する、時代を敏感に反映したコンテンツであった。
が、あまりにたくさんのコンテンツが出揃うようになると、受け取り手はその残酷さや不安定さに慣れはじめ、それは日常の一部になっていく。
このようにしてゼロ年代サブカルはしだいに陳腐化し、「サブカル」という名称はオタク的なニュアンスで使われるように変わっていった。





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